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 2017-18年度 トピックス
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お知らせ

「意見の広場」へ「 下鈎遺跡のミステリー 」を掲載しました(H30.12.28)

下長遺跡は、弥生時代中期に環濠集落として栄えますが、大きな川が集落を横切ってながれています。これで防御できるの?
弥生時代後期には、伊勢遺跡とともに原倭国の中核として栄えました。どのような役割分担をしていたのだろう?
遺跡の様子を見ていると、「なんでだろう?」と思う疑問や謎が数々あります。
そのような不思議や疑問について、状況証拠を踏まえながら考察してみました。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「下鈎遺跡のミステリー」

「下鈎遺跡」のホームページを公開しました(H30.12.1)

下鈎遺跡は滋賀県栗東市にあり、伊勢遺跡の近くにあった弥生遺跡です。弥生時代中期期には環濠集落として栄え、後期には伊勢・下鈎遺跡群として共に原倭国の中核として栄えた集落です。
後期には伊勢遺跡と同じような独立棟持柱付大型建物(祭殿)や高床式大型建物が見つかっています。また、青銅器製品のみならず、青銅器を鋳造するときに発生する付随物がいろいろ出土しており青銅器生産の拠点と考えられています。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒  下鈎遺跡バナー


「意見の広場」へ「弥生中期を終わらせた巨大地震」を掲載しました(H30.1.12)

H29年1月に「意見の広場:服部遺跡のミステリー」で「弥生中期末に大地をえぐるような大洪水が起きたのは2000年前の巨大震災? 」を投稿しました。この中で、2000年前の巨大地震で、弥生中期の社会が大きな被害を受けて歴史が変わった・・・と簡潔にまとめました。
従来の歴史の解釈を変える可能性のあるテーマであり、データを追記・補強して掲載します。確固たる歴史的事実があるわけではないのですが、数々の状況証拠を踏まえながら考察してみました。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「弥生中期を終わらせた巨大地震 」

トピックス

 NHK歴史秘話ヒストリーで伊勢遺跡が紹介されました(H31.2.6)

2月6日の歴史秘話ヒストリーで伊勢遺跡が紹介されました。
「まぼろしの王国 −銅鐸から読み解くニッポンのあけぼの」というタイトルで、3つの謎とそれに対するエピソードという形で放送されました。
 ・どう使われたか? ――最古の銅鐸の音色
 ・どんな願いを? ――銅鐸に描かれた願い
 ・なぜ姿を消したのか? ――まぼろしの銅鐸王国
放送の前ぶりで概要が放映された後、本題がスタートした時「銅鐸とは」として、3.5cmの日本最小の銅鐸と135cmの日本最大の銅鐸が並んで移りました。前者は栗東市下鈎遺跡で見つかった銅鐸、後者は野洲市の大岩山で見つかった銅鐸です。「銅鐸」から見た時、野洲川下流域の弥生遺跡がいかに重要な所か、を示すシーンでした。
3番目の謎で、伊勢遺跡は「まぼろしの銅鐸王国」として、銅鐸の消滅と卑弥呼の関わりの中で紹介されました。
3番目の謎に対するエピソードは、
・纏向遺跡で銅鐸の破片が見つかっている。
・銅鐸は加熱して意図的に打撃を与えないと割れない
・卑弥呼と重なる時代に現れる銅鐸の破壊は何を意味するのか?
・そのためには銅鐸の歴史を見る必要がある
・銅鐸圏には2つの工人集団があり、近畿式銅鐸を東海式銅鐸につながっていく
・2つの工人グループは2つの政治勢力を意味する
・小さな政治勢力が合体し、大きな政治勢力となり、やがてヤマト王権に向かう
・勢力の統合は銅鐸の変遷・統合から読み解けて、大岩山の銅鐸がそれを示している
・銅鐸の合体消滅を解き明かす重要な遺跡が伊勢遺跡である
エピソードの最後の項で、当NPOの記念講演会で2度講演して頂いたことのある森岡秀人さんが銅鐸の消滅と伊勢遺跡、卑弥呼との関わりを話されました。
・伊勢遺跡では銅鐸を祀る祭祀が行われていた
・銅鐸圏の国々の統合を図る国を挙げたマツリがここで始まった
・これが魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の「共立」である
・卑弥呼は銅鐸の生産をストップすることを決断し鏡のマツリに変わっていった

銅鐸の統合とクニグニの統合については「野洲川下流域の弥生遺跡」ホームページでも詳しく書いています。
銅鐸祭祀圏を統合した近畿政権(1)
  〜弥生の祭祀から見えてくる政治統合と近畿政権の誕生〜  ⇒  こちらからリンクします

銅鐸祭祀圏を統合した近畿政権(2)
  〜状況証拠から見えてくる近畿政権の中核:近江〜  ⇒  こちらからリンクします


 伊勢遺跡のジオラマつくり(H31.2.3)

写真 伊勢遺跡保存会のメンバー10名が伊勢遺跡のジオラマつくりに挑戦し、約半年かかかってこの2月3日の伊勢遺跡開きでお披露目されました。
これまで、地元の小学生や市外からの考古学ファンが伊勢遺跡の見学に来ても、現地には看板しかなく、コンピュータCGの画像を見てもらうことしかできませんでした。
数年前に1/30のサイズのミニチュアサイズの建物が作られているのですが、建屋1棟の構造を見るのには適しているものの、多くの建物が円周上に配列されている様子を再現するには大きすぎるのです。
そこで、建物だけだはなく、周辺の溝や川も含めたジオラマを作り、それを見て当時の姿をイメージしてもらおうと言うことで、ジオラマつくりが始まったのです。
出来上がったジオラマを運んで展示できるよう全体のサイズをコンクリートパネル2枚(畳2枚の大きさ)に収めること、それを4分割して運びやすくすること、を前提にして建物サイズは1/170に決めました。
建物の大きさを感じてもらえるように、樹木や人も同じ縮尺で作って配置しています。

写真
円周上配置の祭殿と大型竪穴建物
写真
方形区画の建物と楼観
建物の柱は爪楊枝や竹串、小枝などサイズに応じて工夫されています。当時はヨシで葺かれていたと考えられる屋根の素材には苦労したようです。爪楊枝でも170倍にすると約40cmの太さになる尺度です。結局、細い糸を並べて板状にしたものを屋根として使いました。着色した紙でも屋根に見えると思うのですが、ここにメンバーの拘りと熱意を感じました。
写真を見て頂くと、建物の屋根の構造が少しずつ違っています。柱穴跡から建物の柱構造は分かるのですが、上屋がどうなっていたのかは分かりません。そこで古代建築の研究者が想像した上屋を参考にジオラマつくりに参加したメンバーがそれぞれに工夫して屋根を作ったそうです。
ちょっと見ただけでは気が付かないのですが、ジオラマをよく見ると豆粒ほどの人物があちらこちらに見えます。人と建物を比べることにより、建物の大きさがわかるようにメンバーのアイデアで作ったそうです。

公開勉強会
 「原倭国の中核 伊勢・下鈎遺跡群(下鈎遺跡編)」を開催しました(H30.11.18)

昨年度に続き、NPO公開勉強会を開催しました。
【日時】 平成29年11月18日(日) 13:30〜15:30
【内容】 第1部 13時30分〜13時45分
テーマ:野洲川下流域の弥生遺跡の全体像と下鈎遺跡の位置づけ
講 師:NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長 田口一宏
第2部 13時50分〜15時30分
テーマ:原倭国の中核 伊勢・下鈎遺跡群− 青銅器生産と祭祀を担った下鈎遺跡
講 師:栗東市体育協会文化財調査課 佐伯英樹氏
【場所】 駅前コミュニティホール  第3会議室
勉強会風景 【講義概要】
第1部
・野洲川下流域の弥生遺跡の全体像  ・下鈎遺跡の位置づけ
第2部
・弥生時代中期後半の環濠集落
・弥生時代後期後半の集落
・大型掘立柱建物:伊勢神宮神明作り 神殿から祭殿へ
・特異な遺構:門柱(鳥居状遺構)
・特異な出土物:青銅器生産を示す遺物、水銀朱精製の石杵、謎の銅環

「伊勢遺跡まつり2018」が開催されました(11月3日〜11月4日)

ポスター ポスター
前夜祭:遺跡まつり落語会
【日時】 平成30年11月3日(土) 18時〜19時
【場所】 伊勢町自治会館
【落語家】 笑福亭爆笑さん(守山市吉身在住)
遺跡まつり
【日 時】 平成30年11月4日(日) 10時〜14時 小雨決行
【開会式】10時〜 多目的広場特設ステージ
【会 場】伊勢遺跡多目的広場・児童公園
【共 催】伊勢自治会・阿村自治会・伊勢遺跡保存会
【後 援】守山市教育委員会
チラシをクリックすると大きく表示されます
【遺跡多目的ゾーン:プログラム】
特設ステージ:守山南中学校 吹奏楽部演奏、ヒップホップダンス、大道芸など
遺跡関係:弥生時代の雰囲気を感じよう、発掘体験
あそび:サッカーシューティング、ストラックアウト
【児童遊園ゾーン:プログラム】
模擬店、遊びの広場
【ラッキー抽選会】14時15分〜

平成30年度秋季特別展「ひと・モノ・遺跡」開催 −遺跡には、行き交った人やモノの残影が映る−
  特別講演会「遺跡にみる人・モノの行き交い」 10月8日(月・祝)  終了しました

ポスター 遺跡からは、実に様々な出土品があり、それぞれの時代に生きた人々の生活を窺い知ることができます。
今回の展示会では、古代の人々の交流やモノの流通が、現代人の想像以上に闊達で広範なものであったことを展示、紹介されます。
(注記:野洲川下流域の弥生遺跡としてこのホームページ・シリーズで紹介しましたが、そこに掲載した素晴らしい遺物の実物が見て頂けるでしょう)
開催期間
平成30年10月1日(月)〜11月30日(金)(休館日:火曜日、祝日の翌日)
開館時間
午前9時〜午後4時まで
展示場所
守山市立埋蔵文化財センター 守山市服部町1318
展示内容
市内の遺跡発掘調査出土品
主な展示品:土器(縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器、黒色土器)、 墨書土器、
   陶磁器、青銅器鋳型等、石器(石棒、石斧、石鏃)、サヌカイト原石・剥片、
   石鍋・温石、金属器(銅鏃、銅印、銅銭、帯金具)、 石鍋・温石、木製容器、
   ココヤシ容器、木簡など
◆関連事業◆ 特別講演会
 演題:「遺跡にみる人・モノの行き交い」
 講師:畑 中 英 二さん(京都市立芸術大学准教授)
 日時:10月8日(月・祝)午後2時から
 場所:守山市立埋蔵文化財センター 大会議室
 参加無料(当日受付)


歴史シンポジューム  10月13日(土)
  「倭国の形成と伊勢遺跡」 〜整備・活用をめぐってW〜 終了しました

ちらし −弥生時代の終焉と古墳文化の開始−
チラシをクリックすると大きく表示されます ⇒
【内容】
 伊勢遺跡は国史跡に指定されましたが、今後、どのように
 整備し活用していくのか、大きな課題となります。
 今回、いかに遺跡を整備し、活用していくのか、この視点から
 第4回目のシンポジュームが開催されました。

【開催日】
 平成30年10月13日(土) 午後1時から午後4時50分
【場所】
 守山市民ホール 小ホール (定員300名・入場無料)
【プログラム】
午後1時10分 記念講演 「未来につなぐ弥生遺跡の整備・活用」
 禰%c 佳男氏 (文化庁記念物課主任調査官)
午後2時35分 講演 「弥生時代の終焉と古墳文化の開始を物語る遺跡」
 森岡 秀人氏 (関西大学非常勤講師)
午後3時45分 歴史シンポジューム
  司会 大橋 信弥氏 (元滋賀県立安土城考古博物館学芸課長)
  パネラー 禰%c 佳男氏 (文化庁記念物課主任調査官)
 森岡 秀人氏 (関西大学非常勤講師)
 木戸 雅寿氏(滋賀県教育委員会文化財保護課参事)
 伴野 幸一氏(守山市教育委員会)
【主催】守山市教育委員会 
【申込み】電話・ファックスで守山市教育委員会事務局へお申込み下さい
 受付は、平成30年10月1日より
事務局(お問合せ)
守山市教育委員会事務局文化財保護課 電話:077-582-1156 ファックス:077-582-9441
〒524-8585 守山市吉身町2丁目5番22号

 伊勢遺跡保存会研修会を開催(H30.4.22)

写真 伊勢遺跡保存会は遺跡研修会として、4月22日(日)に高槻市の今城塚古墳と隣接する今城塚古代歴史館をを訪問しました。
この今城塚古墳は学術的には「第26代継体天皇陵」と推定されます。継体天皇は滋賀県高島の出身で滋賀県人には身近に感じられます。私たちも小高い墳丘に登り、高さ広さを体感しました。
古墳周辺は市民がくつろげる憩いの場として、災害時の避難場所としても有効に活用されていました。
古代歴史館には「埴輪づくり」の体験教室、出土した埴輪、古墳の築造の実物大ジオラマ、葬送儀礼などの展示と巨大スクリーンの映像で学習することが出来ました。
(伊勢遺跡保存会 北田) 

「下長遺跡」ホームページ公開記念講演会 
 「イズモ王権は伊勢遺跡と関わるか?」を開催しました(H30.2.12)

ポスター
【日時】 平成30年2月12(月・祝) 午前14:30〜16:50
【内容】 第1部 14時30分〜15時
テーマ:下長遺跡ホームページの紹介
講 師:田口一宏(NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長)
第2部 15時〜16時20分
テーマ:イズモ王権は伊勢遺跡と関わるか?
 〜弥生後期の近江と山陰〜
講 師:森岡秀人氏(関西大学非常勤講師)
第3部 16時30分〜16時50分
考古学者に聞く
【場所】 ライズヴィル都賀山  1F レストラン ヴェルデュール
【主催】 NPO法人守山弥生遺跡研究会

【講演の様子】
「記念講演会」は、昨年好評だった「レストランを借切って、テーブルあり飲み物付き」形式での開催となりました。
昨年は募集定員60名を大幅に超える80名の方に参加して頂き、会場が混雑したため、今年は70名の参加者で締め切らせて頂きました。
下長遺跡HP概説、森岡氏の講演ともに新たな知見が得られたと好評でした。森岡氏の講演は「山陰:イズモ」からの視点でのお話で、「これまであまり聞く機会が少なかった地域の話が聞けた」と喜んでもらえました。
レストランの午後の空き時間を借りたため、時間的な制約があって、下長遺跡の紹介にあまり時間がさけず申し訳ございませんでした。

【講演の骨子】
「下長遺跡」ホームページ概説
講演風景 新しく制作された「下長遺跡」の誕生と遺跡の概要の話と、「下長遺跡のミステリー」の中から、水運とプレ東山道との陸運の接続拠点としての紹介がありました。一言でいうと「卑弥呼政権を支えた湖南の豪族」が下長遺跡です。
  • 弥生後期(伊勢遺跡時代)びわ湖水運の拠点として、また、プレ東山道(律令時代の東山道に先行する街道)との接続拠点として下長遺跡は造営された。
  • 古墳時代早期(卑弥呼の時代)、伊勢遺跡は廃絶されるが下長遺跡は水運/陸運拠点として栄え、卑弥呼政権を支える。
  • 出土する威儀具から、卑弥呼政権との密なる関係をもち、格の高い遺跡であったことが読み取れる。
  • 下長遺跡を流れていた川が埋没していき、水運拠点としての機能が果たせなくなって、衰退していった。
講演「イズモ王権は伊勢遺跡と関わるか? 〜弥生後期の近江と山陰〜
弥生後期の近江と山陰について、山陰(イズモ)〜近江〜近畿中央(ヤマト、カワチ)の遺構・出土物の比較から、当時の勢力関係を浮かび上がらせ、山陰と近畿中央の仲介勢力としての近江の位置づけを;
 @ここ30〜40年、歴史年代がクリアになった
 A鉄器の保有量から地域勢力の大きさが判る
 B銅製品からも地域勢力の大きさと地域間関係が判かる
 C集落構造から、地域性が判る
 D近江は、山陰勢とヤマト勢力の仲介を果たした
等の観点より紹介されました。
  • 鉄器の保有量は山陰が圧倒的に多く、近畿中央の数10倍もあり大きな勢力を誇っていた。近江は両者の中間地点にあり、水運・陸運の拠点として大和と山陰を仲介した。
  • 弥生中期の銅製品から見ても山陰は突出している。近江も多く出土している。山陰で銅製品を製造していた証左はなく、近江からはいろいろ出ている。近江湖南、湖東に一大銅製品工房があったと考えられる。
    伊勢遺跡や近江南部の遺跡の継続性も考え合わせると、中国史書にある「倭国」の前段階の「原倭国」が近江〜北近畿にあり、その中心が伊勢遺跡を核とする近江南部であろう。
  • 山陰の集落は丘陵地帯に広がっており、近江では平野部に広がっている。近江は農耕を基盤とした拠点集落が展開しており、山陰は大陸からの技術をもとに拠点集落が技術分担した社会システムとなっていた。
    近畿中央も平地に拠点集落が、ほぼ等間隔でネットワーク状社会を構成して交易をおこなう進んだ社会システムとなっていた。
  • 進んだ社会システムとなっていた近畿中央と山陰を仲介していたのが近江であろう。

「下長遺跡」のホームページを公開しました(H29.12.15)

下長遺跡は滋賀県守山市にある弥生時代後期〜古墳時代早期(卑弥呼政権の時代)にびわ湖水運の一大拠点として栄えた遺跡です。
独立棟持柱付大型建物(祭殿)や首長の居館、首長の権威を示す威儀具が多数出土しており、王権に関わる祭祀が執り行われていたようです。
卑弥呼政権とも密接な関係を保っていたと考えられています。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒  下長遺跡バナー


公開勉強会
 「下長遺跡の時代」を開催しました(H29.11.19)

昨年度に続き、NPO公開勉強会を開催しました。
【日時】 平成29年11月19日(土) 午前10:00〜12:00
【内容】 第1部 10時〜10時20分
テーマ:下長遺跡ホームページについて
講 師:NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長 田口一宏
第2部 10時25分〜11時55分
テーマ:下長遺跡の時代 〜守山における古墳時時代の始まり〜
講 師:守山市分化財保護審議委員 大橋信弥氏
第3部 11時45分〜12時00分  質疑応答など
【場所】 駅前コミュニティホール  第3会議室
【講義概要】
第1部
・下長遺跡の紹介  ・服部遺跡との比較
第2部
・弥生後期の守山 −伊勢遺跡と服部遺跡−
・下長遺跡の時代 −近江における古墳時代の始まり−
・大岩山古墳群の形成 −湖南における古墳時代の始まり−

伊勢遺跡・下之郷遺跡のモバイル版をアップしました(H29.10.1)

これまでに公開した弥生遺跡のホームページは、パソコンで閲覧することを前提として制作していました。
スマホやタブレットなどのモバイル端末でこれらのホームページを見た場合、画像が小さくて見辛かったり、拡大操作を数回行う必要があったりしました。
今回、表示幅が異なるモバイル端末に対応して画像の表示方法を変えるようにして、見やすく、操作しやすい「モバイル版HP」を制作し公開しました。
現時点では、 伊勢遺跡 と 下之郷遺跡遺跡
だけですが、その他のホームページもモバイル版を制作する予定です。

 滋賀ICT大賞2017で姉妹HP「服部遺跡」が優秀賞を頂きました(H29.6.20)

写真
滋賀県地域情報化推進会議が開催していたウェブサイトコンテスト「滋賀ICT大賞2017」で、姉妹ホームページ「服部遺跡」が地域活動部門の最優秀賞を受賞しました。
このコンテストは、滋賀県内の企業、地域活動団体、公共団体、個人等が運営しているウェブサイトで、滋賀の魅力を発信し豊かな地域社会を築くことに貢献している優れたウェブサイトを表彰するものです。
審査員の方から
「学術的な専門家が積極的に関わっているため、地域資産としての遺跡等の情報を丁寧にわかりやすくまとめたコンテンツのクオリティが極めて高く、評価できる点となっています。また、「意見の広場」が設けられ、学術の市民化に貢献している点について評価できます。
受賞者様は、昨年度も別遺跡のウ工ブサイトで最優秀賞を受賞されており、作りにいい意味の安心惑、安定感があります。この方向性を継続して、今後も頑張っていただきたいと思います。 」とのコメントを頂きました。
私どもがホームページを制作する基本的なスタンスが評価されました。



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