2015年のトピックス
お知らせ
「意見の広場」を「野洲川下流域の弥生遺跡」HPへ移動しました
併せて「下之郷遺跡もミステリー」を新しく掲載しました(12月21日)
これまで「意見の広場」は、当「伊勢遺跡」に掲載していましたが、上位にあたる「野洲川下流域の弥生遺跡」へ移動しました。
伊勢遺跡に関する意見や情報に限らず、広い範囲での意見・情報を記載したく、上位HPへ移しました。
伊勢遺跡はミステリアスな遺跡ですが、下之郷遺跡も不思議なことや珍しいことが一杯です。このような情報を「下之郷遺跡もミステリー」としてまとめました。
是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「下之郷遺跡もミステリー」
伊勢遺跡に関する意見や情報に限らず、広い範囲での意見・情報を記載したく、上位HPへ移しました。
伊勢遺跡はミステリアスな遺跡ですが、下之郷遺跡も不思議なことや珍しいことが一杯です。このような情報を「下之郷遺跡もミステリー」としてまとめました。
是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「下之郷遺跡もミステリー」
トピックス
「野洲川下流域の弥生遺跡」ホームページ公開記念講演会
「倭国形成に向けての近江の役割」 を開催しました(H28.2.28)
【内容】
魏志倭人伝によれば、弥生時代後期末、男王統治のもと一女子を王として擁立しました。 それが卑弥呼です。
当時、近畿地方を統治していた大きなクニ「原倭国」あるいは「近畿政権」が主導して卑弥呼共立を行なった と考えられています。 その中核地が近江南部であり、共立を相談した場所が「伊勢遺跡」と推測されます。
今回の講演では、倭国形成に向けて近江南部が果たした役割についてお話をして頂きました。
【日程】 2月28日(日) 13時30分から16時30分
当時、近畿地方を統治していた大きなクニ「原倭国」あるいは「近畿政権」が主導して卑弥呼共立を行なった と考えられています。 その中核地が近江南部であり、共立を相談した場所が「伊勢遺跡」と推測されます。
今回の講演では、倭国形成に向けて近江南部が果たした役割についてお話をして頂きました。
【場所】 ライズヴィル都賀山 5階 ロータスルーム 守山市浮気町300-24
【プログラム】
13:30 | 「野洲川下流域の弥生遺跡」HP概説 | 田口 一宏(NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長) |
14:00 | 講演「倭国形成に向けての近江の役割」 | 森岡 秀人 氏(橿原考古学研究所共同研究員) |
15:40 | 考古学者に聞く(自由質問) | 森岡 秀人 氏 |
【講演会の風景】
募集定員60名を大幅に超える90名の方に参加して頂きました。やむなくお断りした方々もおられ、申し訳ございませんでした。
新HP概説、森岡氏の講演ともに判りやすく、新たな知見が得られたと好評でした。
初めての試みとして、講演頂いた森岡先生に「考古学者に聞く」という自由質問のコーナーを設けましたが、これもまた、常々疑問に感じていたことを質問できる好企画として喜んでもらえました。
【講演の骨子】
新HP概説、森岡氏の講演ともに判りやすく、新たな知見が得られたと好評でした。
初めての試みとして、講演頂いた森岡先生に「考古学者に聞く」という自由質問のコーナーを設けましたが、これもまた、常々疑問に感じていたことを質問できる好企画として喜んでもらえました。
会場風景 |
新HP概説:田口理事長 |
講演:森岡氏 |
新HP概説および森岡氏の講演内容の骨子を「野洲川下流域の弥生遺跡」に記載しています。
こちらから どうぞ 「講演の骨子」
中井純子 ホームページ原画展を開催しました(H28.2.12 〜 2.14)
NPO法人守山弥生遺跡研究会では、3番目のホームページ「野洲川下流域の弥生遺跡」公開を記念して、これまでのHPで使われてきましたイラストの原画展を開催しました。これらの原画は、守山弥生遺跡研究会のメンバー中井純子さんが伊勢遺跡・下之郷遺跡・野洲川下流域の弥生遺跡の3つのHPのために描き、HPを彩ってきたものです。HPに掲載する絵なので小品ですが、水彩画の柔らかく優しい画で、多くの方から好評でした。
また、額縁の多くは、同じく研究会のメンバーが、「弥生」、「水彩画」のイメージに合わせて製作したものを用いました。
原画展の様子は、京都新聞に「弥生期の守山の暮らしを描く 〜遺跡研メンバーが水彩画展〜」として紹介されました。
【期日】 2月12日(金)〜14日(日) 11時から16時
【場所】 うの家 東蔵 守山市守山1丁目10-2
勉強会 「魏志倭人伝を読み解く」 を開催しました(H27.11.7、H28.2.13)
【内容】三国志の魏志倭人伝は、日本の弥生時代を解読できる数少ない資料の一つです。今年度は、考古学者の大橋さんを講師にお招きし、「魏志倭人伝を読み解く」勉強会を開催しました。
第1回「邪馬台国への行程記事を読む」 11月7日(土)午後14時〜
第2回「卑弥呼の外交記録を読む」 2月13日(土)午後14時〜
また講演会の後、参加者の交流を兼ねて講師を交えて茶話会(考古学者に聞く)を行いました。
【場所】うの家 南蔵
【講師】守山市文化財保護審議委員 大橋 信弥さん
【第1回要旨】
NPO会員以外も方も大勢参加されて盛況でした。
「邪馬台国への行程」の読みときの前に、「三国志」が編成された時代と環境の解説、また、「三国志」の構成の解説がありました。
「魏志倭人伝」は当時の中国の辺境にある国についての記述で、全体から見るとほんの僅かな分量であること、とはいえ、倭人伝はその中でも、しっかりと書かれていることなど、全体の中での位置付けが判りました。
陳寿がまとめるに当り、参考にした歴史書が既にあったこと、「倭人伝」は中国の史家によって受け継がれ、注釈され、原本は無くなったものの転写されていったことなど「魏志倭人伝」を読むときに留意すべきことの説明があり、それ自体が興味深い話でした。、
次いで、行程の読みときの話と、それが「邪馬台国の所在地論争」を引き起こしていること、倭人伝成立の背景を考えると、あまり厳密に解釈することの問題点など聞きました。
勉強会のあと、軽い軽食を頂きながら質疑応答があり、日頃疑問に思っていることを直接おききするよい機会でした。
「邪馬台国への行程」の読みときの前に、「三国志」が編成された時代と環境の解説、また、「三国志」の構成の解説がありました。
「魏志倭人伝」は当時の中国の辺境にある国についての記述で、全体から見るとほんの僅かな分量であること、とはいえ、倭人伝はその中でも、しっかりと書かれていることなど、全体の中での位置付けが判りました。
陳寿がまとめるに当り、参考にした歴史書が既にあったこと、「倭人伝」は中国の史家によって受け継がれ、注釈され、原本は無くなったものの転写されていったことなど「魏志倭人伝」を読むときに留意すべきことの説明があり、それ自体が興味深い話でした。、
次いで、行程の読みときの話と、それが「邪馬台国の所在地論争」を引き起こしていること、倭人伝成立の背景を考えると、あまり厳密に解釈することの問題点など聞きました。
勉強会のあと、軽い軽食を頂きながら質疑応答があり、日頃疑問に思っていることを直接おききするよい機会でした。
【第2回要旨】
前回に続き、「卑弥呼の外交記録を読む」のお話をして頂きました。
「魏志倭人伝」の読みときには、「三国志」の中での位置付け、他の東夷の国々の記述と対比して読まないと誤解をする、倭国の歴史書として書かれた訳ではなく、周辺国の情報(場所、風俗、行政など)として記述しているものである・・とのことです。
ということで、今回は東夷伝に書かれている、国々の記事を解説して頂きました。
ただ、東夷の国々の中では、とくに詳しく好意的に書かれているようです。
倭国への工程が里数で書かれているが、当時の一里は約430mであること、しかしながら、行程1000里とか7000里という距離は、430mを前提としても4倍くらいの値になるとのことでした。(ということは、一里が100m)
次いで、外交記録について解説があり、卑弥呼・台与の時代9年間に4度も使節を送り、帯方群からも使者が2度来ており、後世の遣唐使などに比べて非常に頻繁に外交交渉が持たれていました。
勉強会のあと、お饅頭をいただきながら質疑応答があり、日頃疑問に思っていることを直接おききするよい機会でした。
「魏志倭人伝」の読みときには、「三国志」の中での位置付け、他の東夷の国々の記述と対比して読まないと誤解をする、倭国の歴史書として書かれた訳ではなく、周辺国の情報(場所、風俗、行政など)として記述しているものである・・とのことです。
ということで、今回は東夷伝に書かれている、国々の記事を解説して頂きました。
ただ、東夷の国々の中では、とくに詳しく好意的に書かれているようです。
倭国への工程が里数で書かれているが、当時の一里は約430mであること、しかしながら、行程1000里とか7000里という距離は、430mを前提としても4倍くらいの値になるとのことでした。(ということは、一里が100m)
次いで、外交記録について解説があり、卑弥呼・台与の時代9年間に4度も使節を送り、帯方群からも使者が2度来ており、後世の遣唐使などに比べて非常に頻繁に外交交渉が持たれていました。
勉強会のあと、お饅頭をいただきながら質疑応答があり、日頃疑問に思っていることを直接おききするよい機会でした。
「伊勢遺跡祭り2015」が開催されました(11月1日)
11月1日、「第2回伊勢遺跡まつり」を開催いたしました。数日前まで雨模様の予報であった天候が見事な秋晴れとなり絶好のまつり日和となりました、我らが遠い遠い先祖「卑弥呼」も応援してくれたのでしょうか!!今回は守山まるごと活性化プラン推進事業の一環として、伊勢遺跡保存会、伊勢自治会、阿村自治会の共催で開催し会場は国史跡指定地内の国有地を整備いただいた新装なった多目的広場(3500u)で開催することができました。
地元守山南中学校吹奏楽部80名によるフアンフアーレで始まった開会式に引き続き"マッケンサンバ""青い山脈"など10曲の演奏で参加者をわくわく気分にしてくれました。
会場内遺跡ゾーンでは保存会会員が栗東森林組合のご協力による間伐材や琵琶湖のヨシを利用して手作りで再現した弥生住居(?)の展示や、、建物群を正確に1/30のスケールで、方位も合わせた伊勢遺跡巨大祭祀空間をジオラマとして展示し皆さんにアッピールすることができました。又、体験ゾーンでは滋賀県地球温暖化防止活動推進員の皆様の協力を得て古代の火起こし体験、古代埋蔵物の発掘体験、古代土器を模した会員手製の甕で炊飯した古代米〔赤米〕の試食コーナーも設け弥生の暮らしの一端を知ってもらうことができました。
近くの皇大神社境内に設けた模擬店ゾーンでは"焼きそば""うどん""みたらし団子"などなどの販売や"甘酒"の振る舞い、遊びの広場などを設け楽しんでもらいました。 終日好天に恵まれた1日、大賑わいとなり1100人程の人たちが集まってくださり楽しんで戴くと共に伊勢遺跡に対する関心度を大いに高めていただいたものと喜んでおります。
伊勢・阿村両自治会及び伊勢遺跡保存会は地域の宝物としての伊勢遺跡の保存と活用に向けて一層の研鑽を重ねて参りますので興味と関心をお持ちの皆様の心強いご支援とご協力をお願い致します。 最後になりましたが当日ご多忙の中、ご臨席賜りました武村衆議院議員様、宮本守山市長様はじめご来賓の皆様に深甚の感謝と御礼を申し上げます。守山南中学校吹奏楽部の皆さん有難うございました。
伊勢遺跡保存会 北田記
【会場の様子】
ステージでは、伊勢町自治会長の司会で開会式が行われました。守山市長、武村衆議院議員はじめ来賓の挨拶のあと、地元中学生のブラスバンドの演奏もあり賑やかな雰囲気でした。午後からのステージでは、ジャグリングや手品が行われ、子供たちが歓声を上げていました。
市長の挨拶 |
武村議員の挨拶 |
守山南中吹奏楽部の演奏 |
新しく整備された多目的広場の一角に、保存会の皆さんが製作した竪穴住居が再現してあり、子供たちが中に入って弥生人の生活の気分を味わっていました。
その横には、1/30のサイズで復元した円周上の祭殿群や中央の方形区画の建物群が 展示してあり、弥生時代の伊勢遺跡の様子がよく分かりました。
竪穴住居と卑弥呼さん |
伊勢遺跡全景 円周上祭殿と方形区画の建物(1/30の模型) |
午後のステージでは、ジャグリングや手品のショーが行われ、子供たちが歓声を上げていました。
今年の新しい試みとして「埋蔵物の発掘体験」コーナが設けられ、子供たちがスコップや鍬を使って地中に埋められている遺物を探していました。 予め埋めてあった再現土器が見つかると、大喜びをしていました。将来の考古学者が生まれるかもしれません。
ジャグリング |
発掘者に聞取り調査 |
発掘体験 何が見つかった? |
体験コーナでは、子供たちが復元した弥生土器で古代米ともち米を使ったお粥を炊いたり、火おこしをしていました。
炊きあがったお粥がふるまわてており、試食しましたがなかなか美味しいものでした。
火起こし体験コーナでは子供たちの背丈より大きなジャンボ火おこし器を頑張って回していました。
火おこし体験 |
ジャンボ火おこし器 |
弥生土器(複製)で赤米炊き |
皇大神社の神社境内には、模擬店コーナ、遊びのコーナが設けられ、いく張りものテントでは、食事やおやつ、飲み物が販売されていました。ゲームや風船アートなどもあって賑やかでした。無料のわたがしや甘酒が振る舞われるコーナもありました。
皇大神社の境内の賑わい |
いろいろな模擬店コーナき |
バルーンアートや綿菓子コーナ |
伊勢遺跡講演会を開催しました(H27.10.31)
『伊勢遺跡は何を成し遂げたか? その力の源は何か?』
伊勢遺跡祭り前夜祭として、当NPO法人理事長 田口一宏が『伊勢遺跡は何を成し遂げたか? その力の源は何か?』というタイトルで講演をしました。
主旨
伊勢遺跡と言う素晴らしい遺跡がここにあるのは何故か?、弥生時代の青銅器の祭りの分析と野洲川下流域にある弥生遺跡群を調べ読み解くことで判ってくる。
弥生時代後期に伊勢遺跡が成立する頃、近江南部は東海・近畿・西日本の銅鐸の祭りを統合する力を有していた。このことは、各地の青銅器の祭りの分布や銅鐸の出土分布、形式の変遷などから推定される。卑弥呼による倭国の成立前に、大きな力を持った近江南部の中核が野洲川下流域であり、その祭祀の場が伊勢遺跡である。
では、そのような大きな勢力のクニ(國)がここに成立する力の源泉は何か?、これも野洲川下流域にある弥生遺跡群を調べ読み解くことで判ってくる。
一言でいえば「地の利」であり、水田稲作の技術が未熟な時期にびわ湖畔に初期稲作に適した広大な土地があったこと、ならびに瀬戸内〜淀川〜琵琶湖を幹線とする交易路、東西日本の結節点という地の利である。
米の生産力が高いと人も集まり、人口も増え、権力醸成の背景となる。
野洲川下流域にある弥生遺跡群を丹念に見ていくと、その根拠や過程が判ってくる。
そのような巨大な権力を有する地域政権が近江南部にあり、伊勢遺跡こそがクニグニによる卑弥呼共立の場であった、と考えられる。
弥生時代後期に伊勢遺跡が成立する頃、近江南部は東海・近畿・西日本の銅鐸の祭りを統合する力を有していた。このことは、各地の青銅器の祭りの分布や銅鐸の出土分布、形式の変遷などから推定される。卑弥呼による倭国の成立前に、大きな力を持った近江南部の中核が野洲川下流域であり、その祭祀の場が伊勢遺跡である。
では、そのような大きな勢力のクニ(國)がここに成立する力の源泉は何か?、これも野洲川下流域にある弥生遺跡群を調べ読み解くことで判ってくる。
一言でいえば「地の利」であり、水田稲作の技術が未熟な時期にびわ湖畔に初期稲作に適した広大な土地があったこと、ならびに瀬戸内〜淀川〜琵琶湖を幹線とする交易路、東西日本の結節点という地の利である。
米の生産力が高いと人も集まり、人口も増え、権力醸成の背景となる。
野洲川下流域にある弥生遺跡群を丹念に見ていくと、その根拠や過程が判ってくる。
そのような巨大な権力を有する地域政権が近江南部にあり、伊勢遺跡こそがクニグニによる卑弥呼共立の場であった、と考えられる。
歴史シンポジュームが開催されました(H27.9.19)
「倭国の形成と伊勢遺跡」 〜整備・活用をめぐってT〜
【内容】伊勢遺跡は国史跡に指定されましたが、今後、どのように整備し活用していくのか、大きな課題となります。今回、いかに遺跡を整備し、活用していくのか、の視点からシンポジュームが開催されました。
このたびの講演会では、遺跡の整備・活用の先例となる奈良県唐古・鍵遺跡の事例についての活動紹介を、遺跡のある田原本町教育委員会の藤田さんよりお話して頂けます。田原本町では、弥生時代の楼閣を復元しており、参考になるお話しがお聞きできました。
また、伊勢遺跡の楼観の建物復元をされた黒田隆三神戸大学教授より、伊勢遺跡の楼観と祭殿について記念講演をして頂きました。黒田先生は日本建築史がご専門で、神社建築の歴史を祭祀との関連で考察したり、数々の古代建築の復元などをおこなっておられます。
【期日】 平成27年9月19日(土) 午後1時から午後4時
【場所】 守山市民ホール 小ホール
【プログラム】
午後1時10分 | 記念講演 | 「伊勢遺跡の楼観・祭殿」 |
黒田 龍二氏 (神戸大学工学部教授) | ||
午後2時10分 | 事例報告 | 「奈良県唐古・鍵遺跡の整備・活用」 |
藤田 三郎氏 (田原本町教育委員会事務局文化財保護課長) | ||
午後3時 | 歴史シンポジューム | |
司会 | 森岡 秀人氏 (橿原考古研究所共同研究員) | |
パネラー | 黒田 龍二氏 (神戸大学工学部教授) | |
藤田 三郎氏 (田原本町教育委員会事務局文化財保護課長) 北田 俊夫氏(伊勢遺跡保存会会長) 伴野 幸一氏(守山市教育委員会事務局) |
【講演会、シンポジュームの様子】
司会者(卑弥呼さん) 講演者(黒田氏 藤田氏) |
シンポジューム・コーディネータ:森岡氏 |
黒田龍二氏
・唐古・鍵遺跡、池上曽根遺跡、伊勢遺跡などの建物の復元の考え方の紹介
・古代建築の復元想像は、柱穴、残留柱根などから基礎部分が推定される
・上屋は絵画土器や銅鐸の文様、古代中国の建物などを参考にする
ここが学者によって見解の分かれるところで、3人3様の推定になりがち
藤田三郎氏
・古代建築の復元想像は、柱穴、残留柱根などから基礎部分が推定される
・上屋は絵画土器や銅鐸の文様、古代中国の建物などを参考にする
ここが学者によって見解の分かれるところで、3人3様の推定になりがち
・唐古・鍵遺跡の発掘史紹介、楼観の復元は遺跡のシンボルとして欲しかった
・楼観の遺構見つかっていなしが、絵画土器の図を参考にした
・現在、史跡公園の設置、整備を進めている H30完成予定
・楼観の遺構見つかっていなしが、絵画土器の図を参考にした
・現在、史跡公園の設置、整備を進めている H30完成予定
伊勢遺跡の案内看板設置しました(H27.8.30)
伊勢遺跡の地元民で立ち上げている伊勢遺跡保存会では、国史跡に指定された地域の宝物「伊勢遺跡」の保存と活用に向けて行政や友好団体と連携しながら地元住民としてできる・地元住民にしかできない活動に汗を流しています。今回、遠くから訪ねて下さる史跡愛好家の皆さんへのアクセスガイドと地域の皆さんへの啓発を目的に、会員の手作りによる案内看板を製作し、遺跡周辺の要所へ設置しました。この看板はスギやヒノキの自然木を利用し、伊勢遺跡のシンボル「卑弥呼」のイラストをあしらった可愛い看板です。
一度手作りの看板を見に行きましょう!
また、伊勢遺跡内の国有地に設置されている既存の絵看板にQRコードを添付しました。これまで現地に来て頂いても絵看板と空き地しか見られませんでしたが、このQRコードを携帯電話やスマホに読み込ませると「伊勢遺跡HP」や「伊勢遺跡のパンフレット」にリンクすることができるようになりました。
ぜひ現地で弥生の王国伊勢遺跡の素晴らしさとミステリーに遭遇してください。
(伊勢遺跡保存会 北田)
メンバーで看板作り |
看板が次々出来上がります |
看板の出来栄えは ◎ |
看板の設置作業、方向も判ります |
現地の絵看板にQRコードが付きました |
滋賀Web大賞2015で最優秀賞を頂きました(H27.6.19)
滋賀県地域情報化推進会議が開催していたウェブサイトコンテスト「滋賀Web大賞2015」で、本ホームページが地域活動部門の最優秀賞を受賞し、6月19日(金)に表彰されました。このコンテストは、滋賀県内の企業、地域活動団体、公共団体、個人等が運営しているウェブサイトで、滋賀の魅力を発信し豊かな地域社会を築くことに貢献している優れたウェブサイトを表彰するものです。
審査員の方から
「伝えたいことがはっきりしていて熱意を感じます。一般的な観光誘致目的サイトや考古学愛好家サイトとは一線を画し、学術的な正確さをしっかり備えています。 地域にとって重要で貴重な歴史資料がまとめられており、地域の資源として非常に有益と思われます。」とのコメントを頂きました。
私どもがホームページを制作する基本的なスタンスが評価されました。
物部小学生、地元の伊勢遺跡で初の歴史学習会(H27.5.13、14)
5月13日(水)14日(木)の両日、伊勢遺跡の地元である伊勢町や阿村町の子供たちも通学する物部小学校の6年生児童153名が社会科学習の一環として『伊勢遺跡跡地において遺跡の見学や弥生時代の人々の生活や文化について理解を深める』ことを目的として伊勢町を訪ねてきてくれました。本学習の協力要請を受けた『伊勢遺跡保存会」としても次世代を担う地元の子供たちに国史跡として指定を受けた地域の宝物としての遺跡について学習し、知ってもらうことは非常に大切なことと受け止め喜んで積極的に協力することといたしました。
学習内容として、伊勢町の永願寺本堂(町内で最も広い室内)に大型建物群の復元模型を展示し遺跡全体の規模と概要の解説と、遺跡近くの児童公園において弥生時代の道具を使った火おこしの体験と複製した土器と釜を使い落ち葉と割り木を燃やして赤米入り御飯を炊き、食味体験をしてもらおうと計画いたしました。
前日12日の準備は折からの台風6号の影響でお天気が心配されましたが徐々に天候も回復し学習日は両日共快晴に恵まれ、緑濃い新緑の下での課外学習は非常に快適に進めることができました。
児童たちは建物群のジオラマの説明に『身近な所にこんなすごい遺跡があるなんて驚いた」。火おこし体験では「大変力が要ったけど火がついてわくわくした」。赤米入りのご飯を食べて「昔の味がした、おいしいお変わりほしい」など大いに関心を深めてくれた事は地元にとっても大変意義の高い結果であったと考えています。
私達保存会のメンバーは10名ほどの有志で対応させていただきましたが、子供たちが習ったことを懸命にメモを取ったり、体験に汗を流して参加してくれた事に深い感銘を受けるとともに、さらに伊勢遺跡保存活動に力を注ぐとともに、次世代に伝えていく事の大切さを再認識した2日間でした。 参加メンバーの感想「2日間疲れたけど楽しかったなー」
(伊勢遺跡保存会 北田)
伊勢遺跡のジオラマ見学 |
火起こし体験 火が付いた! |
弥生土器で炊いたご飯は美味しい |
伊勢遺跡保存会研修会を開催(H27.4.19)
4月19日(日)に滋賀県下の遺跡を学ぶために「滋賀県立安土考古博物館」を訪問しました。第一常設展示室では大中の湖南遺跡から出土した木製の農具、野洲の大岩山遺跡から出土した銅鐸などを、学芸員の方の説明を聞きながら、弥生、古墳時代と移りゆく出土品を学ぶことが出来ました。第二常設展示室は安土城跡、観音寺城跡そして織田信長について展示がされており、戦乱から天下統一への日本の歴史の転換期を知ることが出来ました。
名神高速多賀SAのランチの後、キリンビール滋賀工場を訪問し、楽しい研修旅行となりました。
(伊勢遺跡保存会 北田)