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伊勢遺跡 発掘の歴史
伊勢遺跡は、少しずつ発掘され、30数年の長い年月をかけて全貌が推定できるようになってきました。
発掘の後は埋め戻され、現在、そのほとんどが地下に眠っています。
遺跡発掘の歴史のお話しをしましょう。
伊勢遺跡発見のはじめ

守山市の発掘の歴史

守山市の遺跡発掘は、宅地開発に伴い、昭和48年ごろから本格化してきました。
昭和49年には、たびたび氾濫を繰り返してきた野洲川の大規模な改修工事が始まり、地下に埋もれていた「服部遺跡」が発見され発掘が始まります。
守山市では、畑を耕したり、宅地工事で少し土を掘ると土器が出てくる場所が多く、いたるところで地下に遺跡があることが知られていました。
今後の宅地開発が盛んになることが予想され、遺跡保存のために、どこにどんな遺跡があるのか「遺跡分布地図」を作成することになりました。市内一円を調査し、田畑から見つかる土器や工事現場での出土結果をもとに、昭和52年には遺跡分布リストが作成されました。
しかし、この分布リストには「伊勢遺跡」は載っていません。後から分かることですが、伊勢遺跡あたりは、弥生遺跡のある面がやや深く、田畑の耕作では土器が出てくることはなかったのです。

伊勢遺跡発見の第一歩

昭和55年、個人住宅の開発に伴い、伊勢町集落の東側の土地を発掘したところ、弥生時代後期の土器の破片や溝、平安時代の建物跡が見つかり、ここには弥生時代後期から平安時代後期にかけての複合遺跡があることが判りました。 そこの地名に因み、「伊勢遺跡」と命名されました。
翌年には、そこに隣接する地域で宅地開発が行われ、弥生時代後期の竪穴住居が9棟も発見されました。しかも、そのうちの1棟が五角形住居だったのです。その当時、五角形住居はあまり見られなく、近江では数例目の出土でした。
同年、現伊勢町集落の北西でも宅地開発に伴い、弥生時代後期の竪穴住居が10棟も発見され、そのうちの1棟が五角形住居だったのです。その翌年、昭和57年にも集落西側で五角形住居が見つかりました。
方形の竪穴住居も規模が大きく、伊勢遺跡は普通の弥生遺跡ではないと考えられるようになりました。
伊勢遺跡の歴史

ジグソーパズルのように遺跡が次々と

その後も宅地開発や公共工事の時に遺跡確認調査を行ない、ポツリポツリと遺跡の発見が続きました。
その後の発掘でジグソーパズルのコマが一つずつ見つかるように、遺跡の全貌が判明していったのです。
今日まで30数年かかってようやく全体の2割ほどの遺跡確認できました。
年ごとの遺跡発見の推移を下の図に示してあります。

図中の「Start」ボタンをクリックすると発掘の歴史がご覧いただけます。


そうして国指定遺跡へ

これまでの発掘の結果、さまざまな形式の大型建物が計13棟も発見されており、それらが計画的に配置されていることが分かりました。 建物の型式・配列から見て、祭祀空間が存在していたと考えられています。
このような建物群からなる遺跡は「國」の成り立ちを知る上で、全国的に見ても非常に貴重であることから、平成24年1月に国史跡に指定されました。


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