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 主要な発掘成果と年譜
発掘の成果のまとめ
●昭和55年、民間の宅地造成工事に先立ち試掘調査を実施し、この地域に弥生時代後期の集落遺跡が存在することが初めて明らかになりました。最初に発見された町名から伊勢遺跡と命名されました。
●昭和56年度から57年度には、弥生時代後期の竪穴住居19棟、古墳時代前期の方形周溝墓8基が見つかり、現在の伊勢町を中心に大規模な弥生時代後期の集落遺跡が存在することが推測されるようになりました。
五角形の平面形を呈する竪穴住居がいくつも検出されたことから、滋賀県内では特異な内容をもつ遺跡として注目されました。
●平成2年、18次調査で長大な穴が4個見つかりました。後に大型建物と判明するSB-3の柱穴だったのですが、この時点では大きくて珍しい形状の土坑だと思われていました。
●平成4年、18次調査に隣接する土地で21次調査が行われ、大型掘立柱建物(SB-1)が発見されました。2間×5間、床面積88uの巨大な独立棟持柱付き建物で、弥生後期としては全国最大級の建物でした。この時期、隣接する栗東市の下鈎遺跡でも大型建物が発見されており、近畿地方に大型建物が存在することが判明しました。弥生時代の歴史研究上、重要な発見でした。
●平成6年から7年にかけて、道路工事や大規模な宅地造成が行われ、独立棟持柱付き大型建物が次々と発見されます。平成7年には、遺跡中央部には、南北に方位を合わせて大型建物がL字形に配置され、柵によって囲われていることが判明しました。
方形区画の中に大型建物群を配置する日本最古の事例であり、卑弥呼の宮室を想像させることから、邪馬台国論争に一石を投じました。
これだけ大型建物が集中して存在するところは他になく、全国的に注目されると共に、政治的に「國」へと統合されていく過程を探る重要な遺跡であることが分かりました。
●守山市では、大型建物が次々と発見される伊勢遺跡の保存を図るため、国や県の指導を得ながら、平成10年度より遺跡の範囲確認調査を開始しました。
この結果、平成10年には、独立棟持柱付き大型建物(SB-5)と楼観(SB-10)が発見されました。楼観は、魏志倭人伝に記された卑弥呼の宮室をイメージさせるもので、大きく注目されました。
●平成13年、独立棟持柱付き大型建物が2棟発見されました。これらの大型建物は伊勢神明造りとよく似た構造で「祭殿」と見なされていますが、過去に発見されたものも含め直径220mの円周上に等間隔に配列されていることが判りました。このような建物配列はこれまでに見つかったことはなく、新聞紙上を賑わしました。
大型の祭殿が何棟も円周上に配列されているのは、一人の首長だけではなく、首長連合体が集まって祭儀を行う、まつりごとの中心地であったと考えられます。
●平成13年には、祭殿と同時に、国内最大級の方形竪穴住居が見つかりました。床は精緻な粘土を焼き固め、壁の基礎には焼レンガが用いられており、これまで類例のないものでした。いずれも大陸伝来の最新建築技術で、それができる権威の大きさをうかがい知ることができます。

以上、大きな発見を概観しましたが、一つひとつの発見が日本の考古学界を驚きに巻き込むものでした。
発掘の歴史

1980年の伊勢遺跡発見から2012年までの発掘調査の年譜(歴史)です。

年譜


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