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 伊勢遺跡の墓域
伊勢遺跡の外縁部で弥生時代後期の墓域が見つかっていますが、小規模です。
遺跡周辺にも墓域がいくつかありますが、弥生後期の墓域は見つかっていません。伊勢遺跡最盛期に対応する墓域は、未発見なのか、あるいは無かったのか(伊勢遺跡の特殊性)判っていません。
遺跡の規模に見合う墓域が無い

伊勢遺跡に隣接した墓域

遺跡の南西端、JR琵琶湖線の線路付近からは、弥生時代後期の方形周溝墓が7基検出されています。このすぐ北側では同時代の居住区があり、竪穴住居が確認されています。居住域に隣接してこの墓域が築かれていたことがわかります。周溝墓の規模は一辺約6〜10m で、いずれも埋葬部分が削平され周溝だけが残っていました。
また、周溝墓群の北側と東側をL字形に囲むような溝も検出されています。溝は幅約3m 、深さ20〜40cm の規模で、ほほ南北・東西方向に直線的に掘られており、墓域を区画する溝の可能性が強いと考えられます。
区画溝は南側と西側の状況が不明ですが、現状で南北50m以上、東西60m以上の規模があります。ただ、これだけ大きな集落の墓域としては小規模です。
この区画溝を壊す形で古墳時代初頭から前期にかけての方形周溝墓が2基(8・9号墓)検出されています。古墳時代に入り区画溝が埋まった後も、この地点が引き続いて墓地として認識されていたことがうかがえます。
墓域
伊勢遺跡の墓域と方形周溝墓

周辺部の墓域

下之郷遺跡では集落内には墓域はなく、集落から離れたところに方形周溝墓が築かれていました。同じように、伊勢遺跡周辺にもいくつかの墓域があります。
周辺部には、弥生時代中期、弥生時代後期初頭、古墳時代初頭〜前期にかけての方形周溝墓群が存在する墓域が見つかっていますが、
伊勢遺跡の盛行期にあたる弥生時代後期中葉〜末にかけての墓域が明らかにはなっていません。
これは、伊勢遺跡が近江南部地域の政治や祭祀に係わる特殊な遺跡であって、一般的な農耕集落ではなく、お墓は必要でなかった、とも考えられます。
墓域
伊勢遺跡周辺の墓域

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