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 お知らせ と トピックス
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お知らせ

歴史フォーラムを開催します(H29.9.17)
  「倭国の形成と伊勢遺跡」

〜整備・活用国をめぐってV〜   − 山陰と近畿の弥生集落を中心に ポスター
【開催日】 平成29年9月17日(日) 午後1時から午後4時40分
【場所】 守山市民ホール 小ホール
【プログラム】
 講演会
「鳥取県妻木晩田遺跡の調査結果と整備・活用」
高田 健一氏 (鳥取大学准教授)
「近畿と山陰の弥生集落をめぐって」
森岡  秀人氏  (関西大学非常勤講師)
 歴史シンポジューム 〜整備・活用をめぐって〜
司会大橋 信弥氏 (元滋賀県立安土城考古博物館学芸課長)
パネラー高田 健一氏 (鳥取大学准教授)
森岡  秀人氏 (関西大学非常勤講師)
伴野 幸一   (守山市教育委員会事務局)
【主催】守山市教育委員会 
【申込み】
 守山市教育委員会 文化財保護課  電話:077-582-1156 FAX:077-582-9441


「意見の広場」へ「 服部遺跡のミステリー 」を掲載しました(H29.1.23)

服部遺跡は「野洲川放水路」開削に伴い、広大な面積を一気に発掘調査したので、多くの歴史的な事実が判りました。
しかし、その一方で新たな疑問も湧いてきます。
そのような疑問について、状況証拠を踏まえながら考察してみました。
また、服部遺跡には繰り返して襲った大洪水の痕跡が残されていますが、2000年前の巨大地震によって引き起こされたと考えられる爪痕が残されています。
その巨大地震とそれに伴う大津波がもたらした社会変化について考察しています。
弥生時代中期を終焉に導いたのがこの巨大地震と考えられ、その痕跡が服部遺跡に残されていたと推察しています。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「服部遺跡のミステリー」


「意見の広場」へ「 隠された近江の邪馬台国 」を掲載(再投稿)しました(H29.1.23)

NPO法人守山弥生遺跡研究会の会員である千城氏が、2016年5月22日滋賀県守山市で開催された総会において、≪伊勢遺跡で何が行われたのか ―卑弥呼の墓は近江にあるのか―≫ と題して講演したものに筆を加えたものを、昨年10月に「邪馬台国近江説と卑弥呼の墓」として投稿していただきました。
今回、より分りやすく再構成されたものを「 隠された近江の邪馬台国 」と改題し、再投稿して頂きました。
千城氏は著書『近江にいた弥生の大倭王(だいいちおう)』で邪馬台国は近江にあったと推論されていますが、今回は卑弥呼の墓の所在についての研究成果を述べておられます。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「隠された近江の邪馬台国」


「服部遺跡」ホームページの制作を終り公開しました(H28.12.26)

守山市の服部遺跡は、縄文時代から弥生・古墳・奈良・平安時代の遺構が層をなして、地下に積み重なっている複合遺跡です。
各時代の遺構が同じ層で入り混じっているのではなく、サンドイッチの様に異なる層に積みあがっています。このため、同じ場所でありながら、各時代の遺構が分離して歴史の流れが読み取れる定点観測ができる歴史的な意義の大きい遺跡なのです。
野洲川は近世になっても度々大洪水を起こしており、その対策として行われた放水路工事によって服部遺跡の存在が判ったのですが、工事の進捗により破壊され、完成に伴って発掘部分は消えていきました。
この遺跡から弥生前期の大規模な水田跡が見つかっています。多くのお米が収穫でき、人口が増え、力を蓄えた地域です。後の、下之郷遺跡、伊勢遺跡の基盤を築いた遺跡でもあります。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「服部遺跡ホームページ」


「意見の広場」を「野洲川下流域の弥生遺跡」HPへ移動しました
 併せて「下之郷遺跡もミステリー」を新しく掲載しました(12月21日)

これまで「意見の広場」は、当「伊勢遺跡」に掲載していましたが、上位にあたる「野洲川下流域の弥生遺跡」へ移動しました。
伊勢遺跡に関する意見や情報に限らず、広い範囲での意見・情報を記載したく、上位HPへ移しました。
伊勢遺跡はミステリアスな遺跡ですが、下之郷遺跡も不思議なことや珍しいことが一杯です。このような情報を「下之郷遺跡もミステリー」としてまとめました。

是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「下之郷遺跡もミステリー」


トピックス

「服部遺跡」ホームページ公開記念講演会
 「古墳文化へのトレース 狗奴国の行方」を開催しました(H29.2.5)

ポスター
【日時】 平成29年2月5(日) 午前14:30〜16:50
【内容】 第1部 14時30分〜15時
テーマ:服部遺跡ホームページの紹介
講 師:田口一宏(NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長)
第2部 15時〜16時20分
テーマ:古墳文化へのトレース 狗奴国の行方
講 師:赤塚次郎氏(愛知県埋蔵文化財センター 副所長)
第3部 16時30分〜16時50分
考古学者に聞く
【場所】 ライズヴィル都賀山  1F レストラン ヴェルデュール
【主催】 NPO法人守山弥生遺跡研究会

【講演の様子】
今年の「記念講演会」は、講演会場がとれずレストランを借切っての講演となりました。 そのため、聴講者には参加費を払っていただき、その代わりに好きな飲み物を提供する形となりました。
午前中の雨も、開演時刻には上がり、募集定員60名を大幅に超える80名の方に参加して頂きました。
新HP概説、赤塚氏の講演ともに新たな知見が得られたと好評でした。特に、赤塚氏の講演は「狗奴国」からの視点でのお話で、考古学ファンにとっても「邪馬台国とは異なる観点の内容が目新しかった」と喜んでもらえました。
レストランの午後の空き時間を借りたため、時間的な制約があって、質疑に十分な時間を取れなかったのが心残りでした。

【講演の骨子】
「服部遺跡」ホームページ概説
講演風景 新しく制作された「服部遺跡」の誕生と遺跡の概要の話と、「服部遺跡のミステリー」の中から、2000年前の巨大地震にまつわる話の2本立てで講演がありました。
  • 服部遺跡は立地環境上、約100年〜200年間隔の大洪水により繰り返して埋没し、サンドイッチ状に各時代の遺構が残された。この結果、時代別タイプカプセルのように、歴史を追って遺構・遺物を見ることができる、貴重な複合遺跡である。
  • 近代になっても生じる洪水を根本的に絶つために、新たな放水路が開削され、このために発見され、結果的には消え去った遺跡である。
  • 服部遺跡には2000年前に生じた、南海トラフに起因する巨大地震の痕跡が残されている。
  • 2000年前の南海トラフ巨大地震で弥生中期が終わりを遂げたと考えられ、当時の社会の激変をよく説明できる。
講演「古墳文化へのトレース 狗奴国の行方 〜弥生後期の近江と東海〜
講演風景 弥生後期の近江と東海について、狗奴国からの視点で歴史の動き、古墳時代へ向けての社会変化に付いて、
 @地域の素材・地層 部族社会という視点
 A動き出す部族社会
 B狗奴国との抗争
 C気候変動をどう考えるか
の、4部構成で講演がありました。
  • 弥生後期から古墳時代を見るとき、邪馬台国、ヤマト王権にのみ目が行く風潮があるが、列島各地には豊かな地域社会があり、それぞれの視点から歴史を眺める必要がある。
  • 特徴的な土器や墳墓が地域的に伝搬・拡散・移動していく様子、三遠式銅鐸の分布などから、地域勢力の盛衰が読み取れる。
    弥生後期は、野洲川下流域 湖南地方から動き出し、それを受け入れながら東海が独自の文化を育て、東西に波及していく。狗奴国は近江から尾張にかけての一大勢力となる。
  • 歴史の大きな変節時点には、大きな気候変動や災害があり、最近の新しい年代測定技術から気候変動が読み取れるようになった(木材の年輪中の酸素同位体の比率測定)。これにより歴史の変節と気候変動を関連付けて読み解き、さらには実年代との結び付けも推測できるようになった。
  • 狗奴国と邪馬台国の間に大きな抗争があったように見られているが、一時的には対立もあったものの、最終的には協調し合いながら古墳時代へ向かっていく。

公開勉強会
 「ヒミコの時代の服部遺跡」を開催しました(H28.11.26)

昨年度に続き、NPO公開勉強会を開催しました。
【日時】 平成28年11月26日(土) 午前13:30〜16:00
【内容】 第1部 13時30分〜14時
テーマ:服部遺跡ホームページについて
講 師:NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長 田口一宏
第2部 14時〜15時
テーマ:ヒミコ時代の服部遺跡
講 師:守山市分化財保護審議委員 大橋信弥氏
第3部 15時10分〜15時50分  質疑応答など
【場所】 ライズヴィル都賀山  2F アイリス
【講義概要】
第1部
・服部遺跡の紹介  ・伊勢遺跡誕生の証(2000年前の大地震の痕跡)
第2部
・服部遺跡調査の思いで〜共に調査した人々〜
・歴史年代観の変化:気候変動を取り入れた時代の推定(前倒しになってくる)
・弥生中期〜古墳時代の服部遺跡、土器の変遷

町家歴史塾
 「倭国の中心は伊勢遺跡だった」が開催されました(H28.11.8)

守山市内にある伊勢遺跡がかって「倭国の中心であった」ということを主題に紹介しました。
うの家講演会 【日時】平成28年11月8日(火) 午前10時〜正午
【場所】うの家 南倉
【演題】「倭国の中心は伊勢遺跡だった」
〜弥生の祭祀、野洲川下流域の弥生遺跡から読み解く〜
【講師】田口一宏 (NPO法人守山弥生遺跡研究会)
【定員】先着30名 無料
【申込】守山宿・町家「うの家」 電話 583-2366
【講演概要】
・倭国とは  ・野洲川下流域の弥生遺跡の紹介
・伊勢遺跡の紹介  ・倭国の中心と、なぜ判るか?
・その力の源泉は?  ・伊勢遺跡が誕生する背景、契機

「伊勢遺跡祭り2016」を開催しました(10月29日〜10月30日)

前夜祭:伊勢遺跡講演会
【日時】 平成28年10月29日(土) 19:00〜20:30
【場所】 伊勢町自治会館
【演題】 「伊勢遺跡の基盤を築いた服部遺跡、中興の祖下之郷遺跡」
【講師】 NPO法人守山弥生遺跡研究会 理事長 田口一宏

【講演の概要】 講師にNPO法人守山弥生遺跡研究会の理事長 田口一宏氏を招き、上記演題の講演会を開催しました。
同じ守山市内に存在する服部遺跡・下之郷遺跡の概要や特徴、そして伊勢遺跡との関りについて易しく分かり易く解説して頂きました。
倭国大乱があったとき、クニグニの首長が伊勢遺跡に集まり「卑弥呼共立」を相談したのでは・・・という説を著名な考古学者から聞いていますが、今回、2000年前の大地震が契機となり伊勢遺跡が造営されたのでは、という伊勢遺跡の誕生にまつわる興味深い話がありました。
伊勢遺跡保存会  北田記 
遺跡まつり
【日 時】 平成28年10月30日(日) 9:45〜15:00 小雨決行
【開会式】9:45〜15:00 多目的広場特設ステージ
【会 場】伊勢遺跡多目的広場・児童公園・皇大神社
【共 催】伊勢自治会・阿村自治会・伊勢遺跡保存会
【後 援】守山市教委委員会

素晴らしい秋空の下、3回目となる「伊勢遺跡祭り2016」を伊勢町、阿村町両自治会、伊勢遺跡保存会の3者共催で開催しました。
オープニングセレモニーに続き、守山南中学校吹奏楽部の素晴らしい演奏を皮切りに、伊勢遺跡建物群(祭殿や楼観など)の模型や伊勢遺跡の啓発パネル(守山市文化財保護課)の展示、発掘体験、火起こし体験、古代米炊飯試食などにより、ちょっぴり弥生時代の面影を味わってもらいました。
一方、この夏選ばれた6代目卑弥呼さんの登場! 参加者の皆さんとの記念撮影など大もてでした。今後の各種イベントでの活躍に期待しています。
また、今回の遺跡まつりは、毎週金曜日に放映されているBBCテレビの「守山ニュース」に取り上げられました。小学校6年生女子2名によるレポータが頑張って映像を盛り上げてくれました。11月4日(金)に放映され伊勢遺跡のアピールに大きく貢献してくれました。
一方、模擬店ゾーンでは、友遊クラブのふかし芋をはじめ各種食べ物の販売や遊びの広場で大賑わいとなりました。遺跡ゾーンでの甘酒のふるまいも大好評でした。
伊勢遺跡保存会  北田記 
【会場の様子】
ステージでは、伊勢町自治会長の司会で開会式が行われました。式典のあと、子供会で新しく作られたお神輿のお披露目がありました。その後、地元中学生のブラスバンドの演奏もあり賑やかな雰囲気でした。
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子供神輿のお披露目
玄米
守山南中吹奏楽部の演奏

新しく整備された多目的広場の一角に、保存会の方が復元したミニチュアサイズの祭殿群や中央の方形区画の建物の展示、発掘された土器などの展示、遺跡の解説パネルなどもありてあり、弥生時代の伊勢遺跡の様子がよく分かりました。
卑弥呼さんも挨拶やいろいろなコーナを回って忙しくしています。恒例のジャグリングも人気でした。広場の一角で無料の甘酒が振舞われていました。
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ミニチュア建物や土器展示と
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卑弥呼さん 
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ジャグリング
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甘酒の振る舞い 

体験コーナには「埋蔵物の発掘体験」コーナが設けられ、子供たちがスコップや鍬を使って地中に埋められている遺物を探していました。
火起こし体験コーナでは子供たちの背丈より大きなジャンボ火おこし器を頑張って回していました。復元した弥生土器で古代米ともち米を使ったお粥を炊いていました。
炊きあがったお粥がふるまわてており、試食しましたがなかなか美味しいものでした。
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発掘体験 何が見つかった?
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火おこし体験
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弥生土器(複製)で赤米炊き

皇大神社の神社境内には、模擬店コーナ、遊びのコーナが設けられ、いく張りものテントでは、食事やおやつ、飲み物が販売されていました。ゲームや風船アートなどもあって賑やかでした。無料のわたがしが振る舞われるコーナもありました。
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食べ物コーナは大賑わい
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いろいろなゲームコーナ
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抽選会の景品 豪華景品もあり

 滋賀Web大賞2016で姉妹HP「野洲川下流域の弥生遺跡」が最優秀賞を頂きました(H28.6.27)

写真 滋賀県地域情報化推進会議が開催していたウェブサイトコンテスト「滋賀Web大賞2016」で、姉妹ホームページ「野洲川下流域の弥生遺跡」が地域活動部門の最優秀賞を受賞し、6月27日(月)に表彰されました。
このコンテストは、滋賀県内の企業、地域活動団体、公共団体、個人等が運営しているウェブサイトで、滋賀の魅力を発信し豊かな地域社会を築くことに貢献している優れたウェブサイトを表彰するものです。
審査員の方から
「遺跡のアーカイブとして地域のみならず全国的に見ても評価できます。資料的価値が高く、大変意義深いWebサイトです。各地の遺跡や史跡でも同様の情報発信をしてもらうような模範となると良いでしょう。
また、学術的な裏付けのある文章の質などレベルが高く、運営者の情熱も伝わってきます。
地元の人も知らなかったことが出てきますし、小中学校での調べもの学習に役立つでしょう。 」とのコメントを頂きました。
私どもがホームページを制作する基本的なスタンスが評価されました。

NPO総会で会員による歴史講演を行いました(H28.5.22)
  「卑弥呼の墓は近江にあるのか?」 〜伊勢遺跡で何が行われたのか〜  

写真 写真 5月22日に開催したNPO定例総会の後、当NPO会員の佐藤明男氏(ペンネーム:千城 央)による歴史講演を行いました。
佐藤氏は、弥生時代の全国の様子を網羅して調査し、『近江にいた弥生の大倭王(だいいちおう)』という本を発表され、その大倭王が卑弥呼では? と述べておられます。
それに続き『邪馬壹国(やまいちこく)からヤマト国へ 〜近畿東海が大地震で倭国大乱に〜』 を上梓されています。
総会の後、佐藤氏より、「卑弥呼の墓は近江にあるのか?」 〜伊勢遺跡で何が行われたのか〜  のタイトルで、卑弥呼の墓の所在について、佐藤氏が膨大な資料を調査し推定される場所について報告していただきました。

【期日】 平成28年5月22日(日) 午後1時30分から午後4時
【場所】 守山駅前コミュニティホール 3階 第1ホール
【プログラム】
午後1時30分 NPO総会 H27年度活動報告ならびにH28年度活動計画
午後2時〜3時30分 歴史講演 「卑弥呼の墓は近江にあるのか?」
 佐藤 明男氏 (ペンネーム:千城 央)
【主催】NPO法人守山弥生遺跡研究会会 
【講演の概要】
タイトルは「卑弥呼の墓は近江にあるのか?」ですが、結論を 先に言えば「比叡山の八王子山は卑弥呼の墓の有力地」という ことになります。
千城 央さんは自書『近江にいた弥生の大倭王(だいいちおう)』で、 弥生時代の全国の様子を網羅して調査し、近江の大倭王が卑弥呼では?と 推論され、また『邪馬壹国(やまいちこく)からヤマト国へ  〜近畿東海が大地震で倭国大乱に〜』で当時の倭国の動きを 述べられています。
これらを踏まえ、中国の陰陽五行思想や皇廟と祭祀場の位置関係、 ヤマトになってからの祭場と箸墓古墳などの位置関係などをもとに、 比叡山の八王子山は卑弥呼の墓の有力地としておられます。

 物部小学生、伊勢遺跡現地学習会(H28.5.12、13)

今年も、伊勢遺跡の地元である伊勢町や阿村町の子供たちも通学する物部小学校6年生の伊勢遺跡学習が5月12日、13日に開催されました。
これは、社会科学習の一環として『伊勢遺跡跡地において遺跡の見学や弥生時代の人々の生活や文化について理解を深める』ことを目的とした校外学習です。
遺跡跡地から歩いてすぐの永願寺本堂をおかりして、伊勢遺跡保存会のメンバーの田中照男さんが作られた伊勢遺跡巨大建物群のジオラマ展示がされました。ジオラマ展示を見ながら、当時の歴史のお話を、実際に発掘作業をされた文化財保護課の伴野さんから聞かせていただきました。田中さんからは、制作秘話などを聞かせていただき、大いに盛り上がりました。
竪穴住居が復元されている遺跡近くの広場で、伴野さんから遺跡のお話を聞きました。皇大神社の境内では保存会の皆様の協力で、弥生時代の道具を使った火おこしの体験や複製した土器で御飯を炊き食味体験もしました。
その時の学習教材として、守山市教育委員会が新たに発行した「国指定史跡・伊勢遺跡〜謎につつまれた不思議な遺跡〜」を使いましたが、これは当NPO法人の中井純子さんが描いたイラストが使われています。
(伊勢遺跡保存会 北田) 
写真
伊勢遺跡跡で発掘説明を受ける
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大型火起こし道具!
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弥生土器で炊いたご飯


 伊勢遺跡保存会研修会を開催(H28.4.17)

写真 4月17日(日)に伊勢遺跡保存会では会員を対象に歴史研修会を開催しました。 今回は日本の歴史の転換期ともいわれる織田、豊臣そして徳川が関わった湖北を訪問しました。
<小谷城戦国歴史博物館>
2011年のNHK大河ドラマで有名になった浅井家の三女「江」が育った小谷城を訪ねた。戦国時代に北近江を統治した浅井三代の居城であった小谷城からは、琵琶湖そして竹生島が見える。織田信長と浅井長政が1570年から4年間戦った地で、戦国大名の覇権争い浅井三姉妹の茶々・初・江の生き方など臨場感あふれるガイドさんの説明が印象に残りました。
<国友鉄砲の里資料館>
1543年8月に種子島に伝わった2挺の鉄砲が、国友、堺、根来など全国各地で作られたが、国友では足利将軍の命により、1544年に早くも作り始められた。特にネジの開発は鉄砲の製作に大きく寄与した。この鉄砲に注目した織田信長は1549年に国友に「500挺」を発注し、戦を変え、全国統一へ進んでいくことになった。この国友は鉄砲だけでなく、東洋のエジソンと言われた国友一貫斎翁、茶人・辻宗範翁など多くの科学者・文化人を生んだ土地柄、湖北が戦国時代で重要な役割を果たしたことを学ぶことが出来ました。
(伊勢遺跡保存会 北田) 


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