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円周配列の建物
方形区画や楼観を取り囲むように、直径約220mの円周上に配置された大型建物群が見つかっています。ほぼ同じ規格の建物が等間隔に並んでおり、計画的に建設されたことが判ります。このような建物群は全国的にも類例をみない特殊な遺構と言えます。
円周上に配列された建物群

円の中心に向かって等間隔に配置された建物

建物の配置を図に示しますが、6棟の建物が直径約220mのほぼ円周上(やや楕円)にあり、中心に向かって等間隔に配列されています。このように円周上に建物が配置されている例は他にはありません。
南東側のSB-6のみが僅かにこの円周から外れています。面白いことに、円周上の6棟は同じ規格の「独立棟持柱付き建物」であるのに対し、SB-6は「屋内棟持柱付き建物」と形式が違っています。さらに、SB-6のみが、建物の軸が中心に向かっていません。
当時の工人は、SB-6も「ほぼ円周上」と大雑把に考えていたのか、または、少し円周上から外して異なる形式の建物を建てたのか、真意は読みかねます。しかし、建物の形式だけでなく、建物の軸方向も変えており、意識的に外したとも考えられます。他の建物とは違う目的に使われたのでしょうか? 興味深いことです。
円周上に配列
円周上に配列された建物群
【当てはめた楕円】
 ・長径:230m
 ・短径:210m

規格性のある建物

2種類の独立棟持柱付き大型建物

直径約220mの円周上に配置された大型建物6棟は、建物の壁から大きく離れた位置に「棟持柱(むなもちばしら)」が配置されているという構造から、独立棟持柱付き大型建物と呼ばれています。これらの建物は、梁行(はりゆき)1間、
桁行(けたゆき)5間、床面積40〜45uと、ほぼ同規模・同型式となっています。
棟持柱は梁から2.5m程度外側にあり、内側に6〜7度傾斜して据えられています。また、建物の中心部分には
「心柱(しんばしら)」があるのも特徴で、これらの建物に共通しています。
この建物構造が伊勢神宮の神明造りに良く似ています。
このことから、円周上の建物を「伊勢型」と呼ぶこともあります。伊勢神宮の造営はさかのぼっても7世紀後半から8世紀と言われており、伊勢遺跡の祭殿との関係は不明ですが、構造的な類似性が興味深いことです。
もう一つの棟持柱の建物は、円周上から少し離れたSB-6で、棟持柱2本が屋内にあり、梁行1間、桁行3間、床面積38uとなっています。古墳時代の家形埴輪などを参考に寄棟式(よせむねしき)の屋根として復元しています。
独立棟持柱付き建物
独立棟持柱付き建物(6棟)
屋内棟持柱付き建物
屋内棟持柱付き建物(1棟)
(CG作成 小谷正澄氏)

円周上の建物配列の様子

建物が縦列して並んでいる、SB-4・5およびSB-8・9・12の平面図を示します。
隣接する建物との間隔は、心柱間で約30m、棟持柱間では約18mとなっています。また棟(屋根の上にある建物の長軸方向の木材)と棟のなす角度は、約16度と円周の接線方向に沿って配置されており、「円周上に置く」ことを意識して
建ててあります。
SB-12は、南東方向に1間分の張り出し(テラスのようなもの)が付いていたと考えられています。
「伊勢遺跡の変遷」の所で述べますが、このような建物は、順次建設されたことが判っています。同じ規格の建物を円周上に並べて建てるということは、優れた測量技術と建築技術をもった職人集団がいたと思われます。
sb-7-12
SB-8〜12の平面図

sb-45
SB-4、5の平面図
建物の形式と大きさ
・SB-4 1間×5間 42u
    独立棟持柱付き建物

・SB-5 1間×5間 40u
    独立棟持柱付き建物

・SB-7 1間×5間 44u
    独立棟持柱付き建物

・SB-8 1間×5間 41u
    独立棟持柱付き建物

・SB-9 1間×5間 43u
    独立棟持柱付き建物

・SB-12 1間×5間 45u
    独立棟持柱付き建物
    1間分のテラス付(計6間)

・SB-6 1間×3間 38u
    屋内棟持柱付き建物

建物の柱穴

SB-4、SB-8、SB-12の柱穴の写真を示します。
SB-4の柱穴について見てみると、形状は楕円形〜長方形で、長径が0.8m〜1.8m、短径が0.7m〜0.9mで、建物内側に向かって斜路を持つ穴となっています。深さは約1.3mです。
穴の断面形状は、次項の図を参照してください。
SB-4の柱穴
SB-4の柱穴
SB-8の柱穴
SB-8の柱穴
SB-12の柱穴
SB-12の柱穴

残されていた柱根

SB-4では、全ての柱穴に柱根が残されており、掘り上げました。SB-5でも、平面観察の結果、全ての柱根が残されていると見られましたが、独立棟持柱のみ掘り上げました。下の図はSB-5の棟持柱用の穴の断面です。A-B断面で判るように、建物の外側から内側に向かって斜路にそって太い柱を落とし込み、立ち上げていたと考えられます。
柱は全てヒノキで、直径は30cm〜40cmの太い材木であったと推定されます。
心柱は20cmとやや細く、柱穴も浅いものでした。この心柱が床あるいは棟まで届き支えていたのかは判りません。伊勢神宮の神殿も心柱がありますが、床には届いていないようです。この点でも、伊勢遺跡の祭殿との関連が興味深い点です。
sb-5
SB-5の平面図と柱穴、残されていた柱根
柱根
棟持柱の柱根
筏組みの溝跡が見られる

SB-4の柱根
SB-4の柱根
SB-4とSB-5の棟持ち柱を比較してみると、SB-5の柱根の根元には筏(いかだ)を組むための溝と思われる彫り込みが認められます。
SB-4の棟持ち柱 に溝がないのは、運搬方法が違ったのか、切り取られたのかは、判りませんが、遺跡の南を流れる川を利用して大量の柱材を運搬していたと推測できます。

CGによる復元想像図
円周上配列の建物群(SB-7、8、9、12)を復元したCG図を示します。柱穴の数や位置、形状、穴底の様子、地面に切った溝などから構造を推測しています。地上部分は遺物として残されていないので、銅鐸や土器、家屋文鏡に描かれた建物の形状を参考にしています。
右からSB-7、左隣りのSB-8の間に、ちょうど1棟分のスペースがあります。ここは現在の生活道路となっており、道路の下に新たな遺構が眠っているかも知れません。
復元想像図
円周上配置の建物の復元想像図(作成 小谷正澄氏)


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