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[22] Re:[21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:hiro 投稿日:2015/09/13(Sun) 15:51  

nobunobuoguoguさん 投稿ありがとうございます。管理人のヒロです。
ご指摘の通り、伊勢遺跡は興味深く、ミステリアスで、他には見られぬ遺跡です。
ご質問の件ですが、伊勢町という町名は江戸初期にまで遡ることができますが、それ以前は判りません。
なぜ「伊勢」という町名が付いたのかは定かではありませんが、昔の人々は琵琶湖を舟で行き来しており、
伊勢神宮にお参りするときは、琵琶湖から川を遡上して、伊勢町あたりで舟を降りたそうです。
そこからは伊勢街道を歩いて行きます。
伊勢神宮に参詣するために最初に上陸する場所であったため「伊勢町」と呼ばれたとの言い伝えがあります。
お尋ねの伝説や神社はあまり聞いたことがありません。

不弥国に関してですが、守山という地名は新しいもので、昔は近江国栗田郡でした。
魏志倭人伝の不弥国の官名とは関係ないと思います。
このあたりの人数ですが、野洲川下流域は、淡水三角州では日本で最大で、弥生時代より水稲栽培が盛んでした。
人口の推定ですが、弥生時代と平安時代で水田の面積に比例関係にあると仮定すると、
平安時代の和名類聚抄に記載されている田積数は近江が西日本で最大です。水田の広さから推測される人口は
とても多くて数万人にはなりそうです。
したがって、まず不弥国ではないでしょう。
むしろ、弥生時代最大の「邪馬台国」だったかもしれません。
このあたりは、千城 央さんの著書「近江にいた弥生の大倭王」に詳しいです。
またご意見ください。


[21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:nobunobuoguogu 投稿日:2015/09/13(Sun) 00:56  

大変興味がありますが、現在の地図の地名と、昔の地名が
異なっているのではと推定していますが、いかがでしょうか。
古い地図などがあれば、お教えいただけますと助かります。

細かな話をつらつらと羅列いたします。

常盤、物部、大宝、笠縫、松原などの学校がありますが、
古い地名と関連はありますでしょうか。

万葉集の
四極山(しはつやま) うち越え見れば笠縫の島 漕ぎ隠る 棚無し小舟
の歌に笠縫はありますが、しはつやまに近い音韻の地名はありますでしょうか。

天狗の伝説、奇祭、浦島伝説、桃太郎伝説などはありますでしょうか。
稲荷、八幡、神明社、白山の各神社は、多くありますでしょうか。

イズミ、スミヨシの地名はありますでしょうか。泉町は拝見しました。


都を中心に近い淡江を近江、
遠い淡江を遠江と呼び、
遠江は、とほつあふみ と読むことから、
ふみは、淡江だと思っております。

琵琶湖周辺の多賀大社を中心に
フミ(不弥)国があったのではと想像しております。

不弥国の
官を多模といい、副官を卑奴母離というようですが、
多賀、守山と類似性もあります。

邪馬台国と仮定した場合、
古代の農業技術でも
30万人から100万人の人々の食料を確保できる耕地が必要で、
守山周辺だけでは、耕地面積が足りないかと思っております。

不弥国では、1000余の家族ですので、居住することは可能かと思います。

また、
"伊"は、神という意味だと推定しています。
伊都、伊根、イズミ(伊住)、伊賀、伊勢、伊豆です。

元伊勢で、20年おきに遷宮した一か所かもしれないです。




[20] Re:[19] ≪幻の邪馬台国≫<卑弥呼女王ノ都> 投稿者:ヒロ 投稿日:2015/06/25(Thu) 18:03  

biwakoyamataikokuさん。
ありがとうございます。
NPOのメンバーだけでなく、多くの人に応援していただいて制作されたホームページです。
それが評価されて、一同、喜んでいます。
今後とも応援よろしくお願いいたします。


[19] ≪幻の邪馬台国≫<卑弥呼女王ノ都> 投稿者:biwakoyamataikoku 投稿日:2015/06/25(Thu) 16:22  

滋賀Web大賞・最優秀賞受賞おめでとうございます。


[18] 封書受けとりました(*^。^*) 投稿者:かずちゃん 投稿日:2015/03/12(Thu) 11:25  

事務所に届いておりましたので、多少のタイムラグお許しください。色々、有難うございます。
文章、読ませていただき、感心するばかりです!神社に祀られている神々の関係をわかっている事実と関連付けていくところまで、わかりやすくて感激です。
しばらく時間を頂戴して、伊勢遺跡近辺の大己貴命系神社の分布を正確に調べてみます。


[17] 在野さん了解です! 投稿者:かずちゃん 投稿日:2015/02/26(Thu) 00:08  

訂正箇所、了解です。
それにしても、伊勢遺跡が倭宿禰の祭祀遺跡とは面白い推測です。そこに至るまでのお話、また機会があれば是非聞かせていただきたいです。
私の知識は断片的過ぎて、つなげていくにはまだまだ多くのことを調べなくてはなりません。登場する:天村雲命は尾張氏の三世と書かれているものもあります。
また、倭宿禰は籠神社・海部氏三世で神武天皇東征の際、明石海峡で待ち受け道先案内をした人物とされていますよね。昨年籠神社に行った際、亀に載った倭宿禰の像がありました。海部氏の系図も確か天火明命からはじまていたのではなかったでしょうか。
また、草津市に笠縫小学校というのがありまして、その付近には弥生時代の遺跡もあり玉造をした跡があるそうです。



[16] お礼とご連絡 投稿者:在野一生 投稿日:2015/02/25(Wed) 16:06  

 先日のシンポジウムではお世話になりました。諸々貴重なお話を拝聴させていただき、大変勉強になりました。
 当日お渡しした資料の神系図が尾張の人向けの物であったため、記述に不備がありますので、以下の通りご訂正ください。
【天孫兄】櫛玉天火明命→子:天香語山命→孫:天村雲命→三世孫:倭宿禰(天御蔭志楽別命・三上山神、母は伊加里姫)→四世孫:笠水彦命→五世孫:笠津彦。
 私は、伊勢遺跡は倭宿禰の祭祀遺跡と思います。なお、守山市西の草津市「笠」地名は、四世・五世孫の神名と関係すると思います。
 また、何かの折にご案内いただければ幸いです。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。

 


[15] Re:[14] 古代米(赤米、黒紫米)栽培法 投稿者:ヒロ 投稿日:2015/02/12(Thu) 17:40  

矢野Q さん
横浜で素晴らしい活動をされていらっしゃるのですね。
さて、お尋ねの件ですが、下之郷史跡公園で古代米を育てている活用団体「稲と雑穀の会」が情報と経験をお持ちです。
ただ、このホームページ(HP)とは別の「下之郷史跡公園と活用団体」(shimonogou.com)でその活動状況を発信していますので一度ご覧ください。
ご要望の件は、稲と雑穀の会の代表者に伝えますが、今後のこともあり、ご面倒ですが、上記HPの掲示板に投稿していただくのが良いかと思います。
よろしくお願いします。



[14] 古代米(赤米、黒紫米)栽培法 投稿者:矢野 Q 投稿日:2015/02/12(Thu) 11:36  

横浜で子供たちに科学の面白さを教えている者(73歳、男)です。小学生高学年の数人が古代米を育ててみたいと言い出しました。水田を設置するのが難しいため陸稲で育てられないか検討中です。貴方下郷で古代米を栽培されている記事を読み、いいアドバイスを頂けるのでは・・と思いメールいたしました。
どうかよろしくご教示頂けることを期待しております。


[13] Re:[12] 調べ学習にも使える! 投稿者:ヒロ 投稿日:2015/02/08(Sun) 18:03  

長髄彦 さん
投稿をありがとうございました。
伊勢遺跡の全貌を判りやすく発信するという思い、小中学生にも参考となるように、平易な言葉で
解説やイラストをいれて・・・という思いを汲み取っていただき嬉しい限りです。

「発掘の歴史」の疑似動画では30年かかってここまで判ってきたという、発掘の苦労が読み取っていただければと考えて作成しました。
50秒くらいの動画ですが、報告書からデータを引っ張り出し、場所を特定して、画像に落としていく、
実に1ヶ月くらいかかりました。これは無くてもいいようなものですが、30年という年月を目で見てもらえるように制作したものです。
最後のシーンがストップすれば良い、というご提案ありがとうございます。
改造の検討をさせていただきます。


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