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[30] 滋賀Web大賞2016へ応募されませんか? 投稿者:守山市秘書広報課 投稿日:2016/02/18(Thu) 13:00  

日ごろは何かとお世話様です。
守山市の秘書広報課の梶本と申します。
早速ですが、3月15日までの表題大賞の募集をしています。
手書きの図がデジタルの時代に特徴的で、
ご応募の検討をと、参考まで

http://shiganet.shiga-lg.jp


[29] Re:[28] 無題 投稿者:ヒロ 投稿日:2015/09/19(Sat) 21:43  

nobunobuoguoguさん 

今回の投稿ありがとうございました。
歴史のことをいろいろ調べていらっしゃるようですね。
弥生時代の歴史で何か知見、ご意見ございましたら、また、お立ち寄りください。


[28] 無題 投稿者:nobunobuoguogu 投稿日:2015/09/19(Sat) 01:51  

伊勢遺跡の発掘及び今後の調査に期待しております。

現段階では、邪馬台国との関連は、高いとは言い難いとは思います。

邪馬台国の比定結果は、多くの方の信仰、宗教的な拠り所でもあると考えておりますので、
慎重な調査分析をお願いいたします。
また、結果によっては、この国の歴史観を変えてしまう恐れがあることもあると考えます。

どうもありがとうございます。




[27] Re:[26] [25] [24] [23] [22] [21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:ヒロ 投稿日:2015/09/18(Fri) 07:55  

お尋ねのあった件についてご連絡します。

平安時代の新田開発についていは、とくに調べておらず知りません。

邪馬台国の場所の比定については、江戸時代から諸説が出されており
歴史学者のみならず郷土史家、中国史家、歴史愛好家が自説を
発表し、書籍を出されています。
最近は科学者が科学的観点からの裏付けをした説なども出ています。

このホームページは出土した遺物・遺構の紹介とその分析結果と
考古学的事実から推察されることを発信しています。
伊勢遺跡の祭殿群は卑弥呼擁立との関わりを伺わせるものですが、
邪馬台国との関わりまでには距離があるため触れないことにしています。


[26] Re:[25] [24] [23] [22] [21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:nobunobuoguogu 投稿日:2015/09/17(Thu) 19:29  

たびたび恐れ入ります。

邪馬台国の比定の件ですが、
比定の論文や、学者、関係省庁、研究機関のご見解などは、
ございますでしょうか。

琵琶湖湖畔を比定されていらっしゃる方が過去にいらっしゃるようですので、そのお方とのご見解の相違などがあるかどうかを拝聴いたしたく存じます。



[25] Re:[24] [23] [22] [21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:nobunobuoguogu 投稿日:2015/09/16(Wed) 20:38  

ご返信ありがとうございます。
拝見させていただいております。

近江の国は、特に新田がさかんだったように見受けられますが、和名類聚抄の水田の多くが、5世紀以降に開発されたものでは、ないでしょうか。

このあたりご存じでしょうか。




[24] Re:[23] [22] [21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:ひろ 投稿日:2015/09/15(Tue) 22:17  

nobunobuoguoguさん 投稿拝見しました。
伊勢遺跡のことを話題にしているので、伊勢町の名前がどこまでさかのぼれるか、
文献で判る範囲では、江戸時代初期の近江国栗太郡伊勢であることを[22]に書きました。
守山という地名の由来については調べたことがないので判りません。

[22]で平安時代の近江の田積数から弥生時代の戸数を推定した結果(千城央さんの著書)を
転記した個所で「推定される人口が数万人」と書きましたが、これは正しくなくて
「戸数が数万戸」が正しいです。
平安時代の各国の田積数は近江国が最大です。
近江国を魏志倭人伝の不弥国に割付けると、対馬国、邪馬台国に相当する田を有する
国が無くなってしまいます。
詳しくは千城央さんの著書「近江にいた弥生の大倭王」(サンライズ出版)を見て
頂くのが良いでしょう。

蛤の件ですが、魏志倭人伝では「倭の水人」が蛤を採っていると書いており、
海岸に住んでいる倭人のことを言っているのでしょう。
つまり、30余国からなる倭国の様子の一つとして書いており、邪馬台国の人が蛤を
採集しているとは読めません。
魏志倭人伝の意味解釈についていは人それぞれの見方があって、難しくもあり
面白いものです。


[23] Re:[22] [21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:nobunobuoguogu 投稿日:2015/09/14(Mon) 22:03  


ヒロさん、ご返信、ありがとうございます。
ご紹介いただいた本を早速、探してみたいと思います。

以下、建設的なお話とお考えいただければと思います。
また、このようなお話ができてとても楽しいです。

守山は、桓武天皇より賜った言い伝えられているようです。
ただ、それ以前に守山と呼ばれていなかったかどうかは、定かではありません。
また、守山市の守山は、野洲郡ということです。伊勢町は、栗太郡ということです。
卑奴母離のモリは、守山だけでなく、大津市、彦根市、長浜市、近江八幡市、甲賀市、東近江市、竜王町、愛荘町にも
モリと類似するあります。

平安時代に数万人とのことですと、
飛鳥時代以前に、1000余の家族であることも考えられるのはと思います。
不弥国である可能性のほうが高いかと思っております。

魏志倭人伝では、蛤を採っているようですが、淡水の影響のある内湾でとれるものなので、
近江でとれるかどうかは、よくわかりません。
真珠が取れるとのことですが、アワビも、近江でとれるかどうかはわかりません。
邪馬台国は、内海に面していると、魏志倭人伝から読み取れます。淡水の湖とは、考えにくいです。

また、
7万戸ですので、数十万人の人々が暮らしている広大な平野で、
その食料を賄う耕地面積から推定すると、江戸時代の藩で複数の藩がまとまっている規模で、今の県をまたいだ大きなデルタ地帯だと思います。
近江盆地だけでは、まかなえない面積だと思います。
7万戸の土地は、広範囲に古墳遺跡が広がっており、道路建設の際には、頻繁に発掘される土地だとおもいます。

奈良時代で、全国で500万人〜700万人が住んでいたので、
その前の時代の中心地が、数万人とは、言い難く思います。




[22] Re:[21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:hiro 投稿日:2015/09/13(Sun) 15:51  

nobunobuoguoguさん 投稿ありがとうございます。管理人のヒロです。
ご指摘の通り、伊勢遺跡は興味深く、ミステリアスで、他には見られぬ遺跡です。
ご質問の件ですが、伊勢町という町名は江戸初期にまで遡ることができますが、それ以前は判りません。
なぜ「伊勢」という町名が付いたのかは定かではありませんが、昔の人々は琵琶湖を舟で行き来しており、
伊勢神宮にお参りするときは、琵琶湖から川を遡上して、伊勢町あたりで舟を降りたそうです。
そこからは伊勢街道を歩いて行きます。
伊勢神宮に参詣するために最初に上陸する場所であったため「伊勢町」と呼ばれたとの言い伝えがあります。
お尋ねの伝説や神社はあまり聞いたことがありません。

不弥国に関してですが、守山という地名は新しいもので、昔は近江国栗田郡でした。
魏志倭人伝の不弥国の官名とは関係ないと思います。
このあたりの人数ですが、野洲川下流域は、淡水三角州では日本で最大で、弥生時代より水稲栽培が盛んでした。
人口の推定ですが、弥生時代と平安時代で水田の面積に比例関係にあると仮定すると、
平安時代の和名類聚抄に記載されている田積数は近江が西日本で最大です。水田の広さから推測される人口は
とても多くて数万人にはなりそうです。
したがって、まず不弥国ではないでしょう。
むしろ、弥生時代最大の「邪馬台国」だったかもしれません。
このあたりは、千城 央さんの著書「近江にいた弥生の大倭王」に詳しいです。
またご意見ください。


[21] 伊勢遺跡は、大変興味深いです。 投稿者:nobunobuoguogu 投稿日:2015/09/13(Sun) 00:56  

大変興味がありますが、現在の地図の地名と、昔の地名が
異なっているのではと推定していますが、いかがでしょうか。
古い地図などがあれば、お教えいただけますと助かります。

細かな話をつらつらと羅列いたします。

常盤、物部、大宝、笠縫、松原などの学校がありますが、
古い地名と関連はありますでしょうか。

万葉集の
四極山(しはつやま) うち越え見れば笠縫の島 漕ぎ隠る 棚無し小舟
の歌に笠縫はありますが、しはつやまに近い音韻の地名はありますでしょうか。

天狗の伝説、奇祭、浦島伝説、桃太郎伝説などはありますでしょうか。
稲荷、八幡、神明社、白山の各神社は、多くありますでしょうか。

イズミ、スミヨシの地名はありますでしょうか。泉町は拝見しました。


都を中心に近い淡江を近江、
遠い淡江を遠江と呼び、
遠江は、とほつあふみ と読むことから、
ふみは、淡江だと思っております。

琵琶湖周辺の多賀大社を中心に
フミ(不弥)国があったのではと想像しております。

不弥国の
官を多模といい、副官を卑奴母離というようですが、
多賀、守山と類似性もあります。

邪馬台国と仮定した場合、
古代の農業技術でも
30万人から100万人の人々の食料を確保できる耕地が必要で、
守山周辺だけでは、耕地面積が足りないかと思っております。

不弥国では、1000余の家族ですので、居住することは可能かと思います。

また、
"伊"は、神という意味だと推定しています。
伊都、伊根、イズミ(伊住)、伊賀、伊勢、伊豆です。

元伊勢で、20年おきに遷宮した一か所かもしれないです。




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