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[40] 玉埋納祭祀について 投稿者:渡邉 投稿日:2016/05/10(Tue) 15:59  

ヒロさん、いろいろな情報ありがとうございます。
赤野井遺跡、小津遺跡から玉が「出土した」という文言があるとのことですが、調査方向書か何かに記述されているのでしようか。その文言のある文書の表題を知らせていただくことは可能でしょうか。
古墳時代初頭の伊勢遺跡から鏡破片と玉が埋納された状態で出土したことは興味深いですね。玉を埋納する祭祀は縄文時代からみられ、また菜畑遺跡や板付遺跡でも水田関連で玉が埋納されています。伊勢遺跡廃絶後の無住地になる頃の竪穴住居の傍で鏡破片と玉が一緒に埋納され、何らかの祭祀が行われたとすれば、その玉はどのような意味合いで埋められたのでしょう。非常に興味深いですね。地霊に対する祭祀でしょうか。近江では玉を埋納する祭祀があったことを示しているとのご指摘は注目されます。




[39] Re:[38] 遺跡紹介ありがとうございました 投稿者:ヒロ 投稿日:2016/05/10(Tue) 14:00  

渡邉さま
玉と墓制の関わりについて各地の違いを教えていただき、興味深いことです。
近江では木偶が供献土器などと一緒に周溝墓の溝から見つかります。
烏丸崎遺跡でも周溝墓の一基の溝から木偶が見つかっており、渡邉さんが
書かれた祭祀の形態(墳丘墓の上に並べる)のようです。
木偶はこの墓からしか見つかっておらず、特殊な人の墓と考えられます。
これは玉製品が見つかった墓とは別の墓です。

伊勢遺跡の玉製品はご指摘の通り古墳時代初期の遺構から見つかっています。
弥生後期、大型建物が廃絶された後も竪穴住居の時代が続きますが、
それも衰退して無くなる頃、古墳時代初頭に、鏡を割り、玉と一緒に
埋納されます。
埋納場所は墓でもなく、溝でもなく、竪穴住居のそばに当たります。
最盛期の伊勢遺跡の末裔が、それまでに伝わっている祭祀のやり方で
埋納したのでしょう。
墓制とは関係なく、伊勢遺跡の終焉に際しての儀式と考えられます。

赤野井浜遺跡、小津浜遺跡の玉については、「出土した」という文言しか
書かれておらず、詳しくは調べておりません。


[38] 遺跡紹介ありがとうございました 投稿者:渡邉 投稿日:2016/05/08(Sun) 18:29  

ヒロさん、遺跡を紹介していただき誠にありがとうございます。さっそく見てみました。赤野井浜遺跡、小津浜遺跡につきましては残念ながら玉類出土の記事はみつかりませんでした。また伊勢遺跡の玉類出土は四世紀末の古墳時代のものでした。
河内での玉類出土は、弥生時代の紀伊、和泉、摂津、丹波、丹後などと同じく墓から出土するもので、列島の他の地方と同様にスタンダードな出土です。それに対して近江、木津川、大和の弥生中期〜終末期の墓から玉類は出土せず、特殊な墓制となっているようです。烏丸崎遺跡方形周溝墓墓坑底面と唐古・鍵遺跡の終末期の小児用土器棺内からの玉類出土は例外的なケースではないかと思っています。
この玉類を副葬しない特殊な墓制が近江、木津川、大和で共通していることが興味深いところです。一方、この地方では玉類を川跡、周溝墓の周溝、区画溝に沈めています。極めて特殊な玉類の扱い方だと思われます。さらに、この地方では石器や木製品を墓丘内に副葬せず、これらを墓丘上に並べて供献品とし、それが周溝から出土します。墓丘上から転落した結果だと解釈されています。
この特殊性がどういう経緯で生まれたのか大変興味あるところでなのです。

遺跡の紹介、本当にありがとうございました。
面白い発掘調査がありましたら是非お知らせください。


[37] Re:[36] 近江の玉類について 投稿者:ヒロ 投稿日:2016/05/08(Sun) 14:48  

渡邉様
いろいろ研究されていらっしゃいますね。
野洲川下流域では、多くの弥生遺跡から玉作関連製品・遺構が見つかっています。
詳細は、本ホームページの上位にあたる「野洲川下流域の弥生遺跡」ホームページをご覧ください。
弥生時代の近畿では早い時代から、この地域で玉作りが始まり、玉製品・制作工具・制作工房など
30ほどの遺跡が見つかっていていて、これほどの高密度で玉作関連遺跡が存在するのは特異です。

ところが、完成した玉製品が出土するのは少なく、まとまった製品(腕輪・首飾り)として出てくるのが
烏丸埼遺跡と伊勢遺跡で、数個の玉製品が出てくるのが下鈎遺跡、赤野井浜遺跡、小津浜遺跡です。
では、多くの遺跡で作った玉製品はどこへ行ったのか?
多くが北九州へ運ばれたと言われています。

渡邉さんが言及されている国の連合体ですが、近江・河内・大和などの近畿地方と東海や中国・四国など
周辺国を含めた連合体について「近畿政権」とか「原倭国」があったと考えておられる複数の
考古学者がおられます。
根拠は、銅鐸の変遷と製造地、また手焙り型土器の伝搬などから推測されています。
これも先ほどのホームページに書かれています。
ぜひご覧ください。




[36] 近江の玉類について 投稿者:渡邉 投稿日:2016/05/07(Sat) 14:40  

ヒロさん、返信ありがとうございます。
野洲川下流域の遺跡などに関連しまして、弥生中期後半頃から近江、木津川、大和の南北地帯が緩やかな連合体をつくっていたとするアイデアを抱いているのですが、そのアイデアの中核が勾玉などの玉類の扱い方と墓制なのです。それで下鈎遺跡出土の勾玉など玉類がどのような場所で出土したのか確認しかったということであります。
ヒロさんのご指摘では、守山市周辺の弥生遺跡から多くの玉製品が見つかっているとのことですが、これまでに承知しておりますのは草津市烏丸崎遺跡出土の玉類だけでした。このほかにも弥生中期から終末期までの玉類出土遺跡がございましたら是非お知らせいただきたく思います(古墳時代になりますと近江、木津川、大和でも玉類が墓に副葬されるようになりますので古墳時代の玉類出土は一応除外しております)。





[35] Re:[34] 勾玉の場所について 投稿者:ヒロ 投稿日:2016/05/06(Fri) 08:46  

渡邉さま
本ホームページをご覧いただき、ゲストブックへの投稿もしていただきましたこと、
ありがとうございます。
ホームページ管理人のヒロと申します。

渡邉さまが書かれました推測は大変興味深いものです。
勾玉や玉製品は守山市周辺の多くの弥生遺跡から見つかっており、
どのように祀られ、祈られたのか関心があります。
しかし、遺物と出土状況からはどのような祀りで、何を祈ったのかは
判断が付きません(考古学者の言)。
本ホームページは、事実とそこから容易に推測できること、
すなわち、学術的にしっかりしたことを発信する方針ですので、
なかなか思いを飛ばすことができません。
祭祀用の木偶や祭祀用の手焙り土器なども出土しており、個人的には
いろいろ思いを巡らせていますが、ホームページには書いておりません。

これからも、いろいろな見方を投稿していただければ幸いです。




[34] 勾玉の場所について 投稿者:渡邉 投稿日:2016/05/02(Mon) 16:31  

かずちゃん、返信ありがとうございます。
勾玉などが出土した場所について、墓の可能性を指摘されています。勾玉などを副葬品と考えますと、出土場所が墓である可能性はあると思います。ただ、この場所の南側の環濠付近に墓域がありますから、この墓域に葬らずに特別に環濠の中に墓を造ったとすれば、よほどのことだと思います。そこで、昨夜爆睡しながら考えましたのは、居住域と祭祀空間を結ぶ最短距離の線上にこの場所があるということです。このことを重視しますと、居住域から祭祀空間へ向かう時、川を渡河する場所がこの地点だったということが考えられます。この川には居住域と祭祀空間を区画する意味があったとすれば、川には橋をかけていなかったと思われます。そうしますと、祭祀空間に行くために川に足を漬けて川を渡ったと思われます。そこで、川底を乱したり身体を水に入れることなどから流水が持つ霊力を乱して低下させますから、これを恐れて霊力を復元するために勾玉などを沈めて祭祀を行ったものと考えることがでます。あるいは単に渡河場所の水霊、水神を祀ったのかもしれません。勾玉が出た場所を川と想定しますと、以上のように渡河点ということが考えられます。この考えはどんなものでしょうか。


[33] メールありがとうございます 投稿者:かずちゃん 投稿日:2016/05/01(Sun) 23:16  

渡邉さん、下鈎遺跡の勾玉・管玉の情報ありがとうございました。川の真中化それとも墓域か、個人的には墓域のような気がします。それにしても、古代の野洲川の流れは気まぐれで、昭和の放水路の改修まで人々の暮らしを脅かしたり遺跡を壊したり。多くの恩恵をもたらしてきたことも事実ですが、古代史ファンにとっては悩ましい存在です。


[32] 連絡です 投稿者:渡邉 投稿日:2016/04/30(Sat) 21:43  

和歌山県の渡邉です。昨日はありがとうございました。
「ゲストブック」と「ご用の方はinfomyk@yayoiken.jp」を勘違いしまして、「ご用の方は…」の方にコメントを送ってしまいました。まことにすみません。「ご用の方は…」の方を見ていただきたく思います。よろしくお願いいたします。


[31] Re:[30] 滋賀Web大賞2016へ応募されませんか? 投稿者:ヒロ 投稿日:2016/02/19(Fri) 11:07  

梶本さん

Web大賞の情報をありがとうございました。
今回書き込みをしていただいた「伊勢遺跡」ホームページは昨年、滋賀Web大賞に応募し、最優秀賞をいただきました。

今年は、新たに制作した「野洲川下流域の弥生遺跡」ホームページで応募しようと考えています。

このホームページでも水彩画の絵をいろいろと使っています。
先日、原画展を開催したところ多くの方々に来場いただき、好評でした。

今後ともご支援よろしくお願いいたします。



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